今年も1月17日が来た。阪神大震災が起こった日だ。今からもう24年前の早朝のことながら、あの日の出来事をいまだ強烈に覚えている。
大きすぎた震災の揺れは、関西圏だけでなく当時住んでいた愛知県西部にもしっかり届いた。中学の定期テストの勉強で一夜漬けをしていたため、普通なら多少のことでは起きないほど熟睡していたが、即座に目覚めるほどの揺れが襲ってきて「でらやべえ……!」とビビってた矢先のことだった。
家中ユッサユッサ揺れるなか、隣室から飛び込むようにかけつけた母。そして掛け布団ごと私を覆ったその二つの腕。あのずんぐりむっくり中年女性が秘めていた抜群の瞬発力! という驚きもあり、多感な中学生ながらその刹那は「ババアノックしろよ」の声は出なかった。その代わり、じんわりと実感が染みていった。「私はこの母親に慈しまれて生かされているのだ」。
この実感は、その後もずっと人生の中に居座り、ひどいときには「絶望がすごい……こうなったらもはや……」と早まりモードのときの歯止めになるなど強く機能した。おっかさんサンキューやで。恥ずかしいことないように見えますか(※)。
その童貞中学生が干支12匹を2周追い越した2019年、こうしておれは見守る側にいる。
するとどうだ。同じことをするじゃあないか。