大切なのは、気負わないこと
文章を書くことに苦手意識を持っている人は数多い。
私も学生時代には読書感想文を書くのが大嫌いだったし、いつも作文からは逃げ回ってうやむやにしてきたため、提出した記憶もない。
立派なタイトルと名前を書くのは得意だったが、どうしても一行目が書けなかったのだ。
大学の卒業論文は文献の切り貼りと熱心な教授の指導のおかげで、何とか形だけは整えることができたが、社会人になるとそういうわけにもいかなくなった。
最初の就職先が損害保険会社だったということもあり、日々書類中心の仕事だ。
ついに文章を書くことから逃げることはできなくなったというわけだ。
金融業界は真面目な人が多く、理路整然とした硬い文章でなければ許されない環境だ。
時間的にも精神的にも圧縮された状況の中で、私に一筋の光が差し込んだ。
書くのを難しくしている犯人は、業界でも会社でも上司でもなく、私自身だったという事実にハッと気づかされたのだ。
今、自分が知らないことは書けない。
今、自分の力量を超えた文章は書けない。
たったこれだけの事実を受容しただけで、急に肩の荷が下りた。
文章を書く際に最も大切なことは、気負わないことなのだ。
気負っているうちは、永遠に文章は書けないのだ。
これは仕事の文章に限らず、プライベートの文章でも同じだ。
メールやラインはもちろんのこと、ブログやツイッターなど、近年、文章を書く機会は増えている。
あなたの周囲で文章が上手な人は、長文ではなくコンパクトな短文が多いはずだ。
結婚式のスピーチと同じで、文章も気負うと長くなり、つまらなくなる。
つまらない上に長いから、ますます読んでもらえなくなって嫌われる。
スピーチが上手な人はコンパクトで短く、「もっと聴きたい!」と名残惜しくなる。
面白いのに短いから、「もっと! もっと!」と、ますます人もお金も集まってくる。
概してスピーチが上手な人は文章も上手だし、スピーチが下手な人は文章も下手だ。
両者の差は「気負うか、気負わないか」ー、ただそれだけだ。
試しにあなたも今この瞬間から気負うのをやめて、話も文章も短くていいと割り切ろう。
すべてはそこから始まるのだ。
「起承転結」に、こだわらない
文章を書くのが苦手な人は「起承転結」を気にする人が多い。
起承転結は確かに有効なフレームワークだが、すべての文章を起承転結で書いているとあなたも周囲も疲れてしまう。
たとえば、ビジネスの企画書をバカ丁寧に起承転結で作成すると、まず読んでもらえない。
真面目な優等生的に起承転結でプレゼンをすると、結論に辿り着く頃には相手に居眠りされてしまう。
あなたの普段のコミュニケーションやプライベートでのメールやラインのやり取りを思い出してもらいたい。
完全に起承転結が成立している文章などほとんどないはずだ。
でも、それでいいのだ。
畏まった論文や受験などでは起承転結に基づかなければならないことも多いが、日常の生活で文章を書く場合はあなたの頭から溢れる順番が正しい順番なのだ。
特に気心の知れた相手にはこのほうがあなたの思いが伝わるし、相手も読みやすい。
実は私のような文筆を生業とする人間でもこれは同じで、あえて、起承転結を破ることで読者に読みやすくしていることが多いのだ。
なぜあなたの頭から溢れる順番に文章を書くのが正しい順番なのか。
それはそのほうが読み手側もあなたの思考の痕跡を辿りやすいからである。
あなたにもすぐに読み終わる文章と、なかなか読み終わらずに途中で挫折してしまう文章があるはずだ。
途中で挫折してしまうのは、あなたの頭の良し悪しの問題ではなく、
書き手が頭から溢れた順番に書いていないからなのだ。
文章のプロの目から見てもこれは明らかで、書き手が唸りながら書いた文章は読むのに疲れるが、
書き手がリラックスして流れるように書いた文章は流れるように読める。
ここでも文章は気負って書いてはならないことの重要性が理解してもらえるはずだ。
文章はリラックスして、あなたの頭から溢れた順番に書けばいいのだ。
あとから読み返してみて支離滅裂だったら、その時初めて順番を並び替えたり加筆修正したりして編集すればいいのだ。
幸いなことに今はひと昔前と違い、手書きではなくデジタルでお手軽に編集し放題だ。
気負わずに、あなたの頭から溢れてきた順番にどんどん文字にしてしまえばいい。