性同一性障害を救った医師の物語③
前回からのあらすじ
和田耕治は九州の宮崎県に生まれ、人のためになることを決意して群馬大学 医学部に進学する。妻子との生活を守るため、東京都内の病院の脳外科に入局することに。そこで耕治が目にした目にしたものとは?
第2章 外科から形成外科、美容外科へ
逓信病院時代
大学卒業後に勤務することになった東京の逓信病院脳外科は、市ヶ谷という都内一等地でありながら、郵政省の寮に格安で入居できるという好条件だった。耕治は妻と息子を養うため即決し、家族とともに東京へ向かった。
しかし逓信病院での毎日は、あまりに暇すぎた。いくら家族のための安定した職場だとはい え、まだまだ駆け出しだというのに、変に安住してしまっては医者として経験と技術が身につかないのではないかと耕治は危惧した。家族の生活を考えるならば、このままでもゆとりのある医者人生を送っていけることだったろう。 だが、耕治には全く物足りないのだった。熱意をそそぐ何かを欲していた。
一方、はす向かいの警察病院では、毎日ひっきりなしに救急車が出入りしていた。耕治はその光景を羨望の眼差しで眺めていたー毎日やりがいがあって楽しそうだなと。 病気には興味が薄かったものの形成外科には関心があったので、警察病院形成外科へと転科させてもらうこととなった。
耕治の形成外科への関心は、すでに大学時代にきっかけがあった。 臨床実習のある日、大学の耳鼻科外来で、上顎癌の摘出手術を受けた術後の患者を見て、耕治は暗澹たる気分に陥った。その患者の顔は半分なかったのである。命は助かったとはいえ、 今の状態もつらいだろうなと彼は感じた。しかし目の前では淡々と創部の消毒が行われているだけだった。耕治が卒業後に形成外科を目指したのは、このとき受けた衝撃が理由だという。
先生がチョチョと消毒してハイおわり。ええっ? これでホントにおわり? あと何もないの? これが医療てもんなの? この人、顔半分ないままですかぁ? これが私の 正直な感想でした。「命には関係なくても人間である以上大事なもんがあるだろう。外見の顔とか形とかも大事だろ? 医療てのはそんなのはどうでもいいのか?」と思っていたら形成外科というのがあるらしい。ほう、さすが医療だ、分野が広い! というのが私の最初の形成外科への関心でありました。
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