身体を使って検索する
連載も第七回を迎えました。今回はぐっと方向性を変えて、これまでの話をまとめつつ、僕が最近体感している、「モノ」の大切さについて考えてみます。
情報技術革命によって、僕たちは世界中どこにいても、検索エンジンにキーワードを打ち込むことができるようになり、言語情報へのアクセシビリティは格段に上昇しました。しかし、検索エンジンにどういう言葉を打ち込めばいいのか、それを思いつくためには部屋の中に閉じこもってネットばかり見ているのではなく、身体を大胆に移動させて、日常と異なる場所に行ってみないといけない。この連載の基本的な着想は、検索にまつわるこのパラドックスにあります。
フーコーの有名な著作に「言葉と物」というのがありますが、人間の現実は要は言葉とモノからできている。そのとき、まずはモノの世界が大事だと考える人たちがいます。「やっぱり人間直接いろんなものを見て、面と向かって喋らないといけないよ」というような考え方ですね。それに対して、「いやいや、人間の現実はすべて言語で構成されていて、その外側なんて考える必要はない、すべてテキストで完結するはずだ」と考える人たちもいる。二〇世紀の現代思想はだいたいそういう考え方ですが、それは最近のネットユーザーの世界観にも近い。けれど僕は、モノが大切だという素朴な考え方、言葉が大切だという現代的な考え方を踏まえたうえで、さらにもう一周ぐるっと回って、言葉の世界をうまく回すためにはモノが大切だ、と考えているんです。
人間の現実は言葉でできている。けれど、その言葉の世界のなかでうまく生きていく=検索をかけるためにはモノが必要とされる。そういうふうに考えている。
真実を探さない
僕はもともとジャック・デリダという、二〇世紀フランスの哲学者を専門的に研究していました。デリダの哲学のキーワードは「脱構築」です。脱構築とはつまりは、あらゆるテキストはその解釈の仕方によって、そこからどんな意味でも引き出せるという考え方です。つまりデリダによれば、言葉というのはすごく頼りにならないものなんですね。
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