ゴーイング・ゼロ

【第3回】2019年、45歳で結婚なし、子供なしのフリーターのトリコ。人生に絶望した彼女は、酔っ払った勢いから、睡眠薬をまるごとひと瓶飲んでしまった。走馬灯のように青春時代にもっとも輝いていた思い出が甦る。91年に解散してしまった伝説の2人組ユニット「ドルフィン・ソング」はトリコにとって青春のすべてだったのだ。やがて死んだはずのトリコが意識を取り戻した場所は、見慣れない渋谷だった。

3 ゴーイング・ゼロ

 意識を取り戻すと、私は大きな樹の下の、草っ原に横たわっていた。

 そこで長い時間、動けずにいた。視界には木々とその隙間から零れる夜空が広がっている。遠くで車の喧騒が聞こえた。

 何度か、痛いほど目を閉じた。手の先が忰み、恐ろしく寒い。私はゆっくりと強張った身体を起こした。

 見覚えのある公園だった。嘘のように静まり返っていた。

 いったい何があったのか。時間をかけて、頭の中を動かしてみる。

 私は自分の部屋で睡眠薬を飲み、死を待つばかりだった。それがどうだろう。いつのまにか屋外で寝ていた。

 肩や尻についた草を震える手で払う。そろそろと立ち上がった。近くの水飲み場で蛇口を捻る。ミネラルウォーターではなく、水道水を飲むのは久し振りだ。ひどく喉が渇いていた。

 口のまわりを拭い、あたりを見渡す。街灯があちこちに点在していたが、不自然なほど人が少ない。いまは何時なのか。ほのかな明かりに照らされた時計塔に目を細める。十二時二十分を指していた。

 シャツやジーンズのポケットに手をやる。財布やスマフォといった所持品はなかった。  石畳の階段を下りる。すぐ目の前を、ガタンゴトンと電車が通っていった。

 それでわかった。ここは宮下公園ではないか。

 自分がいるのは渋谷なのか? 新高円寺のボロアパートにいたはずなのに?

 軽い目眩がした。私の頭の回りを星が光っていた。

 重たい足取りで、とりあえず駅のほうへ向かった。普段よく通る、マルイ正面の大通りを選んだ。

 ぼやけた頭でも、「なんかヘンだ」とすぐに気付いた。

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ドルフィン・ソングを救え!

樋口毅宏

林真理子さん、燃え殻さんも才能を認めた著者の会心作を限定公開!  2019年、45歳独身で人生に絶望したフリーターのトリコ。睡眠薬で自殺をはかって目覚めたのは、1989年の渋谷だった! トリコに幸せは訪れるのか?  「めちゃくち...もっと読む

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