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大空襲並みの惨状が各地に
内閣府の最悪の想定では、死者は約32万3000人。東日本大震災に比べ約15倍の数になります。ただし、この数字には関連死は含まれていません。原発事故で混乱した福島県や、熊本地震の被災地では、関連死の方が多くなりました。それを考慮すれば、100万人が亡くなると考えてもおかしくないでしょう。
静岡県から宮崎県まで10府県の標高10メートル未満の居住人口は、東北3県の13・5倍です。
そこを東日本より震源の近い地震が襲います。津波はより早く、高く到達。揺れはより強く、揺れている間に津波が来るところもあるでしょう。
津波に襲われる和歌山県では予想死者は県民12人に1人、高知県は15人に1人、静岡県では34人に1人と想定されています。この数字は、自分の親戚のうち1人は失ってしまうことを意味します。学校では1クラスに1人以上が犠牲になる。東京大空襲や関東大震災での東京の惨状に匹敵します。それが静岡から宮崎に至るまで、延々と続く光景を想像してみてください。
高さ30メートルの津波は新幹線並みのスピードで沿岸部に達し、防潮堤を破壊。陸上に上がってもオリンピック選手並みの速さで遡上し、海沿いの街をのみ込み、あらゆる住宅をなぎ倒す。
人々は逃げる間もなく、家屋や車ごと流される。がれきに激しくぶつかり、変わり果てた姿になって引き波の中に消えていく。コンビナートからは油が漏れて引火、石油タンクが浮上して街に進入、周りは火の海に。
都市部では高層ビルが激しく揺さぶられ、上階の部屋では机や椅子が走り回り、ひっくり返る。コピー機は大きく移動し、壁に固定されていない大型のロッカーが人に倒れかかる。エレベーターはすべて停止。閉じ込められた人は真っ暗な狭い空間で長時間助けを待つしかない。
地上では、ビルから剝がれ落ちた外壁やガラスが人々に降り注ぐ。デパートや劇場など、人が集まる場所はパニック状態。地下街や地下鉄駅の出入り口にはおびただしい人の群。「津波が来る」「火災だ」などの情報でパニックに陥る。すでに液状化も発生していて、寸断された道路ではサイレンを鳴らした消防車や救急車が全く動けない。
市街地では倒壊した建物の下敷きになった人たちの救出が懸命に行われるが、火の手はどんどん迫る。
そこら中からうめき声や「助けてー」という悲鳴がこだまする。しかし、消火ができず、近づくことすらできない。傷だらけの遺体が、そこら中で置き去りにされる。
かつての三河地震では、「野焼き」が行われた。立派な火葬場のある現代都市でも遺体の処理は追いつかず、野焼きの煙が立ち込める街になる……。寺も大きな被害を受け、お弔いもできない。
関東大震災では火災、阪神・淡路大震災では家屋倒壊、東日本大震災では津波が主に悲劇を引き起こした。今回は、これら三つがすべて襲ってきた。
街は津波に襲われたところと、火災で燃えているところと両方の惨状が広がる。あまりにもたくさんの家が壊れているので、避難所には入れない。人々は街にいられず、ヨレヨレの格好で郊外に歩いていく。
行き倒れになっている人を助けることもできない。電気もガスも水道も、すべてが途絶。広域の被害で仮設トイレが来るなんてあり得ないので、衛生状態も悪化の一途。街には強烈な異臭と腐臭が漂う。
このような光景を前に、人間性を失わずにいられるでしょうか。東日本大震災では日本人の「礼儀正しさ」や「辛抱強さ」が世界から賞賛されました。しかし、南海トラフ地震でも日本人がそのような冷静さを保てるのか、私は疑問です。圧倒的な、まさに地獄を見るような災害になると、人はなりふり構わなくなるでしょう。食料や水が圧倒的に不足すれば、略奪もあり得ます。治安を保つ警察力や地域の力も十分ではありません。地方警察官の人数は全国で約25万人、人口500人に1人です。日本社会は、底が抜けたように奈落へと落ちていくように思えるのです。
このような状況にならないようするには、耐震化などの事前の努力で被害を大きく減じるしかありません。
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