男の作家には書けない女の感情
——中巻で、作者の筆が乗っていると感じたのはどこですか。
角田 上巻は末摘花を貶すところで言葉が溢れているのを感じたんですけど、中巻は人が悩み苦しむ姿を書くときに筆が冴えていると感じました。作家自身は意図していないと思いますが。先ほどの紫の上が悩んでいる自分に気づくところもそうです。また「真木柱」で、髭黒が玉鬘に浮気をして、いそいそと出かけていく。あるとき心を病んだ妻が夫に灰を投げつけるのですが、あそこは光っていますね。心を病んでいるから、物の怪に取り憑かれていたから、そんな奇行をしたことになっていますが、現代を生きる私たちが読めば、そうではない、こらえかねて行動したのだと読めます。よくやった!と私は思いました。けれどいよいよその妻が娘を連れて黒鬚の家を出るとき、娘がこの家を離れたら自分たちは忘られてしまうという歌を詠んで、それを簪できゅっきゅっと柱に埋めるというところも秀逸です。目に浮かぶように書いています。
——先ほどの柏木や夕霧もそうですが、男性たちも生々しいですよね。
角田 柏木が女三の宮を好きになって思うところがあります。この人は光源氏みたいに美しい人を年がら年中見ているのだから、俺なんてきっと取るに足らないものだろう。源氏物語には、作者多数説とか、後生に書き足された説とかいろいろありますが、ここを読んで、作者は女だって思いました。男はすぐ自惚れるから、自分が誰かと比べられて見劣りするだろうなんて思いもしません。これはやっぱり女の感情であって、男の作家は書けないと思うんです。あるいはもっと違う感情の書き方をするんじゃないかなって。これも今と共通していて、昔の人の感情とは思えないですよね。
——柏木と夕霧は、ちゃんと恋人がいるのに、他に“いい人”ができてしまうという……。
角田 本当にそうですよね。でもこの人たちがことごとく不器用でちゃんとできないというのを、上巻から見ていくと、「なんということだ」と思うんですよね。上巻で、うつくしくて才能ある光源氏は何をしても許されるけど、同時に、女性たちの扱いにも長けている。一度関係を持った女は生涯捨てない。それでうつくしい六条院が完成するわけですが、でもその子どもや孫ときたら、容姿がうつくしいだけで、スマートに振る舞えないし、女の気持ちなど何ひとつわかっていないじゃないか。そう思えば思うほど、光源氏が若かった時代がきらきらしい神話みたいな世界になって、そこから人間たちが地上に落ちてくるのが中巻です。私はそういうイメージを持ちました。
——なるほど。中巻に登場する女性で印象に残っているのは誰ですか。
角田 近江の姫君ですね。あまりにも特殊すぎて、飛び道具みたいに使われていて、でも可愛かったです。
あとは玉鬘でしょうか。作者は玉鬘を女のお手本のように書いているんです。女性たちを「良いお手本」「悪いお手本」と書き分けている節があるんですが、そのなかで紫の上が人間離れしたスーパーウーマンのような存在で、玉鬘は「女はかくあるべし」というモデルとして書かれています。
——玉鬘のことを「女はかくあるべし」と書いていると感じたのはどの部分ですか。
角田 最後のほうで光君が女三の宮について評するときに、玉鬘を引き合いに出して「彼女(玉鬘)はまったくみごとにことをおさめたものだ」と言っているんです。玉鬘は頭が良かったと言っているんですね。それから「若菜」で、たくさん子どもを産んで母になった玉鬘が源氏に会いに来たときも、ますますきれいになって、母親としての重みも添えられて、立派な貴婦人になった、というようなすごい褒めようなんです。
——そういった作者の語り(草子地の文)が『源氏物語』にはよく出てきます。
角田 今回は語りはかなり減らして訳しました。中巻はストーリーがストーリー然としてあって、それが面白いので、作者の声に口を挟まれたくなかったんです。
——冒頭で作者もコントロールの利かない勢いの話が出ましたが、翻訳も原文の勢いに乗ったところがありますか。というのも、玉鬘の話が続いたり、「若菜 上下」が長かったりするんですけど、ぐんぐん進んで読めたんです。
角田 そうですね。「若菜 上下」は物語が面白いので、訳ももっと早くもっと早く!と先を急ぐ感じになりました。私は長編の漫画をあまり読んだことがないんですけど、『源氏物語』はああいう感じなのかなって思ってきたんです。ものすごく長い漫画を読んでいて、「連載をやめさせてもらえないんだろう」と思うことがあるんです。たとえばとにかく話を長く伸ばすために新しい人物を入れてみたり、ちょっと人気がなくなってきたときに過去に人気のあった人物を再び出して、展開をつくってみる。『源氏』だと、生霊が唐突に出てくるじゃないですか。え、また出すの?って、びっくり(笑)。
——こんなにたくさん物の怪で死んでるの?って、不思議になります(笑)。
光源氏が絵物語が散らかっているのを見て、「女というものは面倒くさがらずに、人に騙されようと生まれてきたものらしいね」と言う場面があります。これは紫式部の物語論ですよね。ここを読んだ当時の女性たちは驚いただろうなと思うんです。自分は騙されたくてこれを読んでるのかなって。
角田 物語は作り物だと言いながら、でもその中に真実が隠されている、だから読むべきものなのだって、物語を擁護することも言いますね。物語論だけでなく、音楽とは何か、女性とは何か、紫式部の考えがあったのかもしれませんね。それらが中巻に書かれています。
——上巻はボーイズトークなど楽しみましたけど、読者も紫式部も登場人物を確認するので精一杯というところがありました。それが中巻ではもっと別のところで訴えてくるものがあって、紫式部の主張やメッセージが盛り込まれていることに気づきました。
角田 そうですね。紫式部は宮中の世界をお勤めしながら見ていて、いろいろ考えて、言いたいことがあったんでしょうね。ああいうのはださい、芸術とはこういうものでなくちゃって。でも、それを言う場所がなかったんだろうなと想像します。だからつい書いてしまう。
「あわれ」が中巻のキーワード
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