受難果実そう名付けられし実を割ると磔刑の彼の血の香りする
もう三日、眠れない。
掛かりつけの医院に紹介状を書いてもらい、大学病院に行くことになった。
「なにか見えませんか?」
医師の問いに、
「時計草のことですか?」
聞き返す。
「あなたがたは、この世の全ての過眠症の人たちの代わりに寝ていません。選ばれてしまったので、もう一生眠れないはずです。選ばれた方々は一様に、時計草を見ています」
狂いそうだった。時計草の花は、狂ってると思う。一瞬も眠らずはしゃぎつづける躁病みたいに咲いている。
完全不眠が半年になった。時計草に脳を占拠された。鼻から、時計草の花粉が出てきてくしゃみが止まらない。全く眠れず、全身でくしゃみしつづける。苦しくて辛くて、どうしようもない。
時計草が回り出す。脳にキンキン響くオルゴールが鳴り始める。これ以上の高さは人類には聞こえないという高音で鳴る。
頭痛が酷い。
何かに導かれるようにして、わたしは真夜中の植物園にたどり着く。ふらふらと倒れ込んだところが時計草だった。他にも倒れ込んでいる人が何人かいる。
目、鼻、耳、……体のあらゆる穴から時計草の花粉が出て、わたしから、時間が漏れた。
時間が漏れ出すと、存在は空間も失うことになるのだ。倒れ込んだ人々は、徐々に見えなくなっていく。
わたしは、見ることも見られることも不可能になり、気づくと真空にいた。
完全な孤独なのに、その恐怖を叫ぶこともできない。
4時40分0秒を指す時計草宇宙が終わる瞬間の時刻
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