自分で決めたルールだから価値がある

アキとユウカは一緒に旅に出た。冬の寒い朝、自分でもありえないと思えることをやるのが、輝かしい未来を手に入れることだと信じて。

空は薄ぼらけだったが、てっぺんの雲は、まだ直接見えぬ朝日に照らされて、光り輝いていた。

六甲山の中腹の空気はとても冷たく、つんざくような鳥のなき声も、山間をこだまして鳴り響く。

ユウカは自分の吐く息を手にあて寒さをしのいでいたが、アキはもう慣れているのか、テキパキと戸締りをして、車庫からロードスターを出そうとしていた。

「ユウカ、忘れ物はない?」

「そもそも、荷物なんかないですよ」

「そう、いい答えね」

ロードスターにエンジンをかけるとブロロと低音を車庫に響かせる。ピッとリモコンで車庫の扉を開けると、真正面、太陽がのぼる瞬間に出くわした。

まぶしすぎる太陽が私たちの未来を照らしてくれるような気がした。

「レッツゴー」

アキが一言つぶやくと、車は勢いよく車庫から飛び出した。

エンジンの音を軽快に響かせ、アキは慣れたドライビングテクニックで山道をすごい勢いで降りていく。

アキは携帯を取り出し、片手で音楽を探した。そしてブルートゥースで車内のスピーカーにつなげると、大黒摩季の「ら・ら・ら」が流れ出した。

「アキさん、この曲、好きですね。私も好きですけど、いま聞いている人いないですよ」

「あら、音楽に古いも新しいもないわよ。これは本当に名曲よ。聞きたい曲を聞きたい時に聞けばいいんじゃない。そういう音楽が増えるのは、年を取った人間の特権よ。 だって、若い人はこんな名曲も知らないんでしょう」

アキは「ら・ら・ら~」と大黒摩季と一緒に歌いだしたのを見て、ユウカもおかしくなって、最後には一緒に「ら・ら・ら~」と歌っていた。

車は1時間ほどたって、伊丹空港に着いた。

伊丹空港は、関西国際空港ができてからは、乗客数は減っているのかもしれないけれど、兵庫の人間は、まだこちらを利用する人が多い。

車を伊丹空港の駐車場に止めると、2人は空港カウンターへと歩き始めた。

「アキさん、車は置きっぱなしだけど、大丈夫?」

アキは、この車を回収してくれる人もいるから大丈夫だと言った。

現在は朝の7時。 朝8時の飛行機だから、チェックインを済ませて、空港内のラウンジで時間をつぶすことにした。まだ空港内の人はまばらだ。

アキはトイレに行くといって、席を立った。

ここは会員制のラウンジで、ジュースやお菓子などは食べ放題らしく、時計の手前にはカウンターも用意されてアルコールも提供されるらしい。

ユウカは大きめの椅子に座って、のんびりラウンジ内にあるデジタル時計を眺めていた。

すると、大きな荷物を抱えた大男が入ってきた。

禿げかけた頭には大粒の汗をかいている。 まるで全速力で走ってきたかのようだ。手元にハンカチを握って、しきりに汗を拭いている。 こんな寒い朝なのに、ずいぶんと様子のちがう男の姿にユウカの視線は奪われた。 他に客がいない広いラウンジで、大男はユウカに話しかけた。

「5歳くらいの子どもを見ませんでしたか? 私の子どもなんです」

ユウカは子どもを見てないことを告げると、大男は残念そうに去っていった。

しかし、ラウンジ内のどこに隠れていたかわからないが、大男が去った後に5歳くらいの男の子がユウカの目の前にあらわれた。

「お姉さん、嘘をついて僕を守ってくれてありがとう」

「へ? あら、あなたさっきの男の人の子ども? たいへん、あなたのことを探してたわよ」

「知らせたらダメだよ。あいつは悪い奴なんだ。僕を食べようとする妖怪なんだよ。だから僕は、ここに隠れてたんだ」

たしか、ここは会員制で入り口でチェックするはずなんだけど、どうやって潜り込んだんだろう。

「でも、良くないわよ。子どもが一人で空港内でうろうろしたら。お父さん、お母さんはいるの?」

「いない」

それだけ答えると、子どもはテーブルからお菓子をとってきて、一人で食べ始めた。 ユウカは一人だとにっちもさっちもいかなくなって、「早くアキさん、帰ってこないかしら」とトイレの方を眺めたが、まだ帰ってくる気配がない。

ユウカは仕方なく、子どもに向かって言った。 「じゃあ、おばさんが、空港の人に本当のお父さん、お母さんに届くように放送かけてもらえるように言うから、ちょっと待ってね」

「おばさんって誰?」

「いや、私のこと……」

「おばさんって感じじゃないじゃん」

ユウカの顔は傍目で見てわかるくらいにポワッと赤くなった。

思わずこの小さな男の子を抱きしめようかと思ったほどだ。
35歳を過ぎ、アラサーとは言えなくなった自分にかけられた川のせせらぎのような言葉。 子どもの澄んだ目で本心から言われたのだとしたら、それは本当のことなのかもしれない……、と思った。

「ユウカ、子どもほど嘘つきって知ってる?」

ハッと振り向くとアキが立っている。 その後ろには、さっきの禿げかけた大男も一緒に立っていた。

子どもはヤバいと思ったのか、お菓子の残りを口いっぱいに頬張ると、ドアの方向に駆けていった。 「こら、竜彦! 待ちなさい!」 大男も子どもの名前を呼びながら、ラウンジから去っていった。

「あの子はあの大男の子どもで間違いないから、心配しないでいいわ。 ほんとに大阪の子は、小さくてもずるがしこいんだから。……ところで、ユウカは、まだお姉さんって呼ばれたいの?」

「うん。実を言うとねさっき、あの子最初に私のこと、お姉さんって呼んだの。ちょっと嬉しかった。でもね、その後、わたし自分で自分のことを「おばさん」って言ったの」

「それはなんで?」

「お姉さんって1回呼ばれてるから、余裕ができたのかな。笑 試しに自分のこと「おばさん」って呼んでみようかな、って思ったの。ほんの気まぐれ。もう35歳だし、いつまでも娘気分でいたらダメだと思って」

「自分で呼んでみてどうだった?」

「なんかすごく嫌だったの。自分を卑下してるような感じがして」

「ユウカ一つ良いこと教えたげる。 関西ではね、おばさんっていうのは別に蔑称じゃないわよ。そんなに悪い意味はない。 むしろね、『お姉さん』なんて言葉ほど嘘っぽくて、信用ならない言葉はないわよ。 男がお姉さんなんて言い出したら、財布か股を開くはめになるんだから」

「えー、相手は5歳の子どもですよ」

「5歳でも男は男。さっきだってあなた騙されそうになってたじゃない。笑」

「じゃあ、じゃあ、私は自分のことを何て呼んだらいいか、わかんない。年齢が35歳の女の人は普通なんて自分のこと呼んだらいいの?」

「わたしって呼んだらいいじゃない。おばさんだろうとおばあさんだろうと、それは人が勝手に判断して呼ぶ呼び名でしょ。どうして、人が判断することを自分で言うのよ。なんとでも言いたいように言わせてあげなさい」

「そうね……あ!! ちょっと待って。じゃあさ、さっきアキさん、子どものこと『嘘つき』って言ったじゃん。あれは、私のことをアキさんは、おばさんって思ってるっていうことでしょう」

突然、話の主題が移り変わると、アキはアハハと弾けるような笑い声を出した。

「ちょっと笑ってないで、答えてくださいよ。大事なことなんです!」

「ら・ら・ら~」

アキは大黒摩季を歌いだして誤魔化した。

ただ、ユウカは自分のことを一生おばさんと呼ぶのはやめようと思った。 歌い終わった後、アキは言った。

「きっと、あなたはね。自分が何者かさえもまだわかってないのよ。だから呼び名ひとつで一喜一憂する。そして、自分で考える頭がないから、世間の常識が気になって仕方がない。 これから行く旅はね、あなたが自分の価値を決める旅になると思うわ。そんな予感がするの」

「なんですか、それ。私は自分の価値がまだわかってないっていう意味? 私はわかってるつもりですよ。独身35歳、女性、無職、行き遅れ……他には、貧乳、バカ、優柔不断……」

優柔不断と言ったとき、ユウカの胸がチクりと痛んだ。 だが、アキは最後まで聞いて、こう言った。

「それは全部、他人が決めたルールの上の話でしょ。 ルールはね、自分で決めるから価値があるのよ。自分で決めないルールは、あなたが自分自身を理解するための妨げになるだけよ」

<イラスト:ハセガワシオリ

この連載について

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結婚できない2.0〜百鳥ユウカの婚活日記〜

菅沙絵

友人たちが彼女につけたあだ名は「レジェンド・ユウカ」。結婚市場に残された最後の掘り出し物という意味だと説明されたが、たぶん揶揄する意味もある。妥協を知らない彼女が最後にどんな男と結婚をするのか、既婚の友人たちは全員興味深げにユウカさん...もっと読む

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SetunaHearts #スマートニュース 5日前 replyretweetfavorite