声なき声
前述の通り、私がきさらぎ亭の存在を知ったのは、閉店1週間前、寄付を募るネット記事上だった。
クラウドファンディングとは、きさらぎ亭が利用した運営会社Ready forのサイトによると、「『自分の作って歌った曲をCDにしたい』『災害被害にあった図書館を復旧したい』など、様々な理由でお金を必要としている人に対し、 共感した人が一口1000円程度からインターネットを通じて出資し支援をする、こうしたインターネット上で多数の人から資金を募る仕組み」をいう。
「桜新町で40年愛された食堂「きさらぎ亭」を町内に残したい!」というプロジェクト名で募られた。出資者へのリターン(商品)は、3000円出資者に、「食券1枚、お礼の手紙、オリジナル千社札」。1万円出資者には上記に「食券2枚」「移転先の店内にサポーターとして名前を記載」が追加になる。
──こんな素朴なリターンで、はたして集まるのだろうか。
私は遠巻きにサイトをのぞいていた。
1週間後、プロジェクト終了の文字が踊った。
「閉店日の10月25日にあたたかい応援とともに目標金額を達成しました!」
たった1週間で、目標の80万円に到達したという。
茜さん夫妻は当時のことを次のように述懐する。
「思ってもみなかった偶発的なことが次々起きて、すべてがびっくりの連続でした」
まず、10月頭、Ready forに申請のメールをいれるとすぐ連絡が来た。電話の女性が言った。
「あのきさらぎ亭ですか。私、行ったことがあります! 安くて本当に美味しくて。町に根ざしたいいお店でした。閉店はとても残念です」
彼女の奮闘により、申請から数日という異例の早さで掲載になった。その女性は恩人ですね、その後お会いしましたか? といいう問いに、「はい。助かりました。でもお会いしてなくて、電話で話しただけです」(茜さん)とのこと。一家はみな旧店舗の営業と閉店・移転準備で、目の回るような忙しさだったのだ。
同月18日、店内に出資を呼びかける張り紙をした。
「ご飯を食べる場であるお店に、金額の書かれたクラウドファンディングの紙を貼るのは気が引けましたが、お知らせしないと気づいてもらえない。お客さんにとっては無粋なことですが貼りました」(茜さん)
奥は律さんと力さん夫妻。店主の力さんは81歳とは思えぬ姿勢の良さと機敏な動きで、まだまだ大黒柱は譲れなさそうだ
すると、レジで会計をしているときに声をかけられた。
「再開を待っています!」
え、と驚いた。出資を募る無粋な張り紙に顔を背けるどころか、今、自分は客に励まされている。会話らしい会話をしたこともない、顔を見知っているだけの人々に。
「がんばってください」
「どこを見れば募金できますか」
会計をする客に次々と話しかけられた。
「お一人でいらっしゃる方が多いので、そのとき初めて、注文以外の声を聞きました。本当に嬉しかったですね」(茜さん)
ネットを通して3000円、1万円の出資が次々集まる。中には3万円、5万円、10万円の出資者も。
学生や勤め人などひとり暮らしの客が多いため、野菜はふんだんに、が信条
寄せられた応援コメントを紹介しよう。
「大学生の時にきさらぎ亭さんによく通っていました。いつも来るたびに温かくて美味しいごはんに元気をもらっていました。これからも学生時代の思い出の地の桜新町で続けていってほしいです。応援しています!」
「桜新町の名所だと思っています。頑張ってください!」
「26年経っても変わらないお店、人、味、雰囲気、暖かさ、感無量でした。また、家族みんなで食べに行きます」
「切り干し大根をメニューから外さないで下さい!宜しくお願いします」
「横浜からいつも通ってました。必ず復活して人生で一番のチキンカツがまた食べたいです」
「この街で一番好きなお店です。きさらぎ亭は桜新町住民の宝です。お店を再開するお手伝いができるのなら喜んで。微力ながら応援させて頂きます」
「桜新町に下宿している大学生の息子と行くのを楽しみにしていました。あのご飯大盛りを食う息子の姿を見て、こっちも頑張らなあかんと思いながら、いつも大阪に帰ってきました。今は、次男が桜新町に下宿してます。3人で行ける日を楽しみにしてます!」
記名もあれば、匿名やニックネームもある。読むのがおいつかないくらい、毎日コメントが増えていく。顔の見えない無名の人々の温もりあふれるコメントに、なんの縁もない私まで涙がこぼれた。「黙々と食べ、こちらもせわしなく働いているのでお客様との交流はない」と茜さんが言うきさらぎ亭は、こんなにも、沢山の人の食を支え、愛されていた。
サイトに載っていない支援者の話もある。母の律さんが教えてくれた。
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