イラスト:タキノユキ
赤ん坊が生まれた瞬間から、私たちは「親」になり、育児は絶え間なく、毎日毎日続いていく。
我が子のために、誰もが「いい親」でありたくて「いい育児」がしたい。
だけど育児を何日繰り返しても、これが本当に正しいのか、子どものためになっているのか、いつまでたっても「答え」が出ない。
幼稚園、小学校、受験に就職。いつになったら、私たちの育児にある種の「答え」はでるのだろうか?
「親の育児」を振り返る瞬間
結婚式の夜、夫は言った。
「親父はむかしながらの亭主関白で、共働きなのに家事育児はおかんに丸投げで感謝もしない。
米を炊くどころか茶碗のしまってある場所も知らないくせに、威張りちらして、いつも自分の都合が最優先。
気に入らないと、怒鳴って殴って、それを教育だと思っている大バカ者。
俺はあんな父親には、絶対ならない。」
そう語る夫の横顔に、深い恨みは読み取れない。
淡々と、どこか寂し気に、感情のうすいサラリとした声で話す。
夫と義父の関係は、決して悪くない。
離れて暮らしているので、定期的な交流こそないが、会えば談笑してお酒を飲むし、私がお誕生日に帽子をプレゼントしよう、と言うと「いいよいいよいらないよ」と言いつつも、お店まで一緒にでかけて、「親父は茶色じゃないほうがいいな、コレなんてどう」と並んで商品を選んだ。
大げさなプレゼント包装を前に恥ずかしがる義父に、「ほらほら、カッコいいじゃんか、東京のオシャレな店で買ったんだぞ」と微笑ましいやりとりだってしていた。
私からみた夫の実家は、サザエさん一家のような、にぎやかで明るくて円満なおうちに感じる。
一方で、一緒に遊んだ記憶などないと言う夫は、「親父はまったく家庭を顧みず、俺はちっとも愛されていなかった。写真だって、俺が写ってるのは全然ない」と不満を口にする。
そんな幼少期の「満ちない想い」が、大人になった夫を育児に駆り立てているのかもしれない。
夫にとって、義父の育児は「正解」ではなかったのだろう。
娘に丁寧に接し、明るい態度をとり続け、笑い合うことで、寂しさを訴えることができなかった少年を、夫は過去に、迎えに行っている気がする。
私もまた、「寂しい子ども」だった。
両親は仕事で多忙で、ほとんど祖母と伯母に育ててもらった。
生活に不自由はなかったので、それこそが両親の働く努力によって守られているということなのだけど、幼い私が欲しかったのは、もっと直接的でわかりやすい「愛情」だった。
だから母となった今、「大好きよ~!」と娘を抱きしめるとき、幸福感と同時に「いい母親をしている」という満足感も強く感じる。
私もまた、手を後ろで組み、小石を蹴ってうつむく少女を、時間を越えて抱きしめにいっているのだろう。
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