性同一性障害を救った医師の物語②
第1章 生い立ち―大学時代
故郷
私は九州の宮崎県で生れた。宮崎は観光地として有名なところであるが、私の生れた 所は宮崎県で唯一とも言える工業都市延岡である。県庁所在地の宮崎市から北へ二時間程汽車で上ったところになる人口一二万の街である。名所旧跡は殆どない。南国特有の海の蒼さも、私の街の海だけは異臭を放つ赤紫色に変っていた。
私はこの町で一九年暮らした。高校を終えた後、一応合格していた大学には進まず一年間自宅に留まり浪人生活をしたのである。小さな町ではあったが、私の心には大きな影響を与えている。延岡市は同じ規模の他の諸都市とは何か異なるものがあった。いやこれは私の独断かもしれない。この町の最も特筆すべき特徴は、此処に住む殆どの人々にとって「故郷」ではないということだった。
市民の約八割はその街に君臨していたある大企業の直接、間接の関係者であった。働き口を求めて他市他県から流れ込んできた 人々が殆どだった。私の父もその一人であった。工場と工員を異常に擁した町、そんな町は何処か奇蹟的な発達を必ずみせている。この町には祭らしい祭はなかった。殆どの 人々にとって「故郷」でないのだから当然である。城下町としても伝統は既に、この町にあの巨大な企業がうぶ声をあげたとき崩壊しはじめていた。七万石の城下町の面影は 何処にもなかった。 (昭和五〇年頃、予備校時代のノートより)
この私小説風の書き出しは、和田耕治医師がその浪人時代、メモや心境を綴っていた雑記帳に書かれた断章の一つである。目次だけは数章分あるが、本文は残念ながら冒頭だけで終わっている。その後、別のノートか原稿用紙に書かれたのか、あるいは一切書き進めなかったのかはわからない。
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