性同一性障害を救った医師の物語①

「たとえ罰せられても医師として覚悟の上。国や法律ができる前から医療は存在してるんだ」。性同一性障害の手術を約600例執刀した医師・和田耕治の知られざる物語。 日本国内で性転換(性別適合)手術がタブーの頃から自らの哲学のもと、性に悩める患者を救い続けてきた伝説の医師が今蘇る!2月4日方丈社より発売される書籍「ペニスカッター」より、本文を抜粋してお届けします。


性同一性障害を救った医師の物語①

はじめに

美容形成クリニックの宣伝がますます盛んになってきています。 マスメディアやネットを通して日々その方法は派手になっていき、テレビをつければまるで商品広告のようです。 今、美容形成外科医は飽和状態にあると聞きます。そんな現在から約一〇年前に、一人の美容形成外科医がひっそりと五三歳の若さでこの世を去りました。

名前を和田耕治といいます。わたしの長きにわたるパートナーであり、二人の息子の父でもあります。 彼は医療手術、美容外科のほか、それまで日本では約三〇年間もタブー視されていた性転換 (性別適合)手術を自分の独自のガイドラインに則して行ってきました。 正統派の医師が保身などを考え公の機関では一四例しかなかった性転換手術を、一切の広告・宣伝を謳わずして、死ぬまでに六〇〇例以上こなしたと言われています。

彼の最初の性転換手術第一号は、今芸能界で大活躍のAさんです。以降も彼は性同一性障害の患者さんを救いたいという信念を曲げず、性転換手術の革命医師としてニューハーフたちから「赤ひげ先生」と崇められていました。 その彼が、なぜ非業の死を遂げなければならなかったのでしょうか?

ここに彼が世に残してくれたブログがあります。 今でも自由に誰でも閲覧できるそのタイトルは、「性転換手術   美容外科医の Blog ―日本 で唯一、開業医として永く本格的なMTF ̶ SRSに携わってきた医師が、GID(性同一性障害)治療について語ります」です。

彼は開業医として堂々と自分の医師としての信念、「法律や社会が許さないといっても、そんなものは無視してよい」「たとえ罰せられても医師として覚悟の上だ」「国や法律ができる前 から医療は存在してるんだ」を掲げ、性転換手術を「ヤミ手術」ではないとし、多くの患者さんを救ってきました。 わたしは、和田耕治という日本の医学界においてリスペクトされるべき医師を闇に葬ってはいけないとの思いを強くしました。

学会や社会から異端視され、その一方で医学界の革命児と言われた、彼のやってきたことの内容は一〇年早かったと関係者から聞かされてきました。 今はどうなのでしょう? 死後およそ一〇年たった今、発表する時が来たのです。 この書を出版するにあたり、「なぜ今?」という質問を何度もされました。 急に耕治さんが亡くなるという事態にわたしたち家族は直面しました。損害賠償金などクリアしなくてはならない問題が山積みとなって残り、弁護士を入れて解決したのが二〇一二年でした。また、生活が激変する中、わたしたち親子は必死で生きていかなければならず、あっという間に今日に至っています。

ようやく整理がつき始めた二〇一三年、約六年ぶりにわたしは彼の遺品が眠る倉庫へ向かいました。まるで眠っているかのような積み上げられた段ボールを一つひとつ開けて、見直し続けました。山のような裁判記録や陳述書……。深い彼の心の叫びが倉庫の中で渦を巻いてこだましているように聞こえました。 六畳分を占めるほどの積み上げられた資料(カルテを入れたらそれ以上)の整理には、想像以上の歳月がかかりました。そんな中で色々な事実もわかりました。悔しい思いもたくさんありました。

本書は構想から五年ほどかかり、ようやく今出版できる時が来たのです。 和田耕治医師の破天荒な人生を、彼の生い立ち、家族との関わり、知られざる一面などを通して、理解していただけたら幸いです。 彼に感謝をして魂に祈りを捧げながら、彼がこの世に残してくれた功績や知られざる苦労、そして最後まで社会や体制に立ち向かったその姿勢を、多くの人に伝えられたらと願ってやみません。 遺品の一つでもある、彼に対する山のようなお礼の手紙や、彼が死んでからも送られてきたあたたかい内容の手紙に触れ、彼のことを必要としてくれていた世界中の患者さんの思いを無駄にしたくなかったのです。 また「和田式」として彼の名前を堂々と明記してくださっている開業医の方々もいらっしゃいました。 美容形成外科医として彼が取り組んだ軌跡が今後も語り継がれ、日本のGIDの患者さんの ためにも、彼が残してきた功績が生かされ、さらに発展していくことを願っています。

深町公美子

第 1 章 生い立ち—大学時代

一九七〇年代半ば―。

私はある大学を中退して医学部へ進むために大阪で浪人生をしていたのですが、その時バイトでゲームセンターで夜中働いてました。三〇年以上前の当時のゲームセンター は今と違い、カジノっぽい感じで、夜中の客層はホントに質が悪いやら怪しいやらで、よくオカマなんかも出入りしていたんです。当時はニューハーフなんて言いません。みんなブサイクというよりゴツくて怖かったんですが、しかし毎晩のように見るので慣れてしまってむしろ親愛の情さえわいていたのか私には何か理解できる人達ではありました。 (「性転換手術   美容外科医の Blog 」より。以下、出典記載のない引用文は同ブログからのもの)

深夜のゲーム喫茶は、掃き溜めのようだった。現在のゲームセンターのような、きらびやかで多種多様なゲーム機などはない。二、三年後にはインベーダーゲームで賑わうことになるのだが、まだこの頃はピンボールやルーレットゲーム、ポンなどしかなく、刺激を求める人間の常として賭け事をする輩も少なからずいた。 換気扇が追いつかないほどのタバコの煙―。よどんだ空気が鼻をつく。ゲーム機の電子音のノイズに乗って、女言葉のダミ声も飛び交う。女装した男たちである。化粧はしているが、 顔の輪郭や骨格は男のままで皆ごつく、声も野太い。 レジ横には二〇歳そこそこのアルバイトの青年―。

彼はもうよほど見慣れていたが、やはりいつものように不思議な気持ちで目の前の光景を眺めるのだった。 「もっと綺麗なオカマがいてもいいものだろう……」 四半世紀ののち、日本のニューハーフのおよそ半分が、この青年のおかげで女性の身体を手に入れることとなろうとは、この女装した男たちも、そして青年自身でさえ、夢にも思っていなかった。

信念

医療は誰のためのものでしょうか? 極論を言えば、私は患者一人一人の苦しみからの救済、手助けのためにあるのであって、 国や法律や宗教などは一切関係ないと思っています。たとえ違法だろうが、患者は苦しみから救われる権利を人として当然有しており、誰かに不当な迷惑をかけるわけでもない限り、医師は患者に救いの手を差し伸べるべきだと思います。 「法律や社会が許さないといっても、そんなものは無視してよい・たとえ罰せられても 医師として覚悟の上だ・国や法律ができる前から医療は存在してるんだ」というのが私の信念です。

性転換手術に半生を捧げた孤高の美容外科医、和田耕治医師が記した言葉である。 彼は、何よりも患者を第一に考え、法うんぬんの前に一人の人間として悩める患者を救いた い、その一心で治療を最後まで続けた。宣伝・広告に一円も費用をかけたことはないが、常に何ヶ月も先まで予約でいっぱいだった。日本でいちばん「無名」の有名人であった。―この国で長らく葬られてきた医療だったがゆえに。

なぜヤミ手術と呼ばれたか?

私が性転換手術を始めた頃はまだ日本では、この手術は先進国で唯一ヤミ手術扱いでした。昭和四四年のいわゆるブルーボーイ事件で行われた去勢手術が当時の優生保護法違反に問われて以来、日本では性転換手術はタブーになり、裁判判例ではこの治療の必要性は認められながらも、実際にこの治療のとりくみが行われることは表面上なくなりました。「さわらぬ神にたたりなし」のように、本来この治療に主体的に関わる形成外科医も一部の手術書に少々触れるのみで、多くの患者を見て見ぬふりをしてきました。そのため患者さんは手術を求めて海外へ行かざるをえず、術後の経過を十分に見てもらえる保証もない手術を受けるしかありませんでした。(記者とのメールより)

和田医師は、いわゆる「正当な」同業者からは陰口を叩かれ、一方でニューハーフ界では 「現代の赤ひげ先生」とも呼ばれ、神様仏様と慕われていた。 しかし最後まで孤高であった。 和田医師はいったいどれだけの人を救っただろう。彼がいなければ、どれだけの人が途方にくれ、自らを殺めたことだろう。

破られるタブー

二〇〇二年四月。それは大々的に報道された(二日、三日)。 どの新聞や週刊誌を見ても、「性転換」の文字がでかでかと書かれ、各テレビ局のニュース番組やネット記事でも何度も伝えられていた。

【「性転換」手術後に男性急死】 事件は大阪市北区の美容・形成外科「わだ形成クリニック」(和田耕治院長)で起きた。 今年二月、東京都小金井市の男性会社員(三五)が性転換手術を受けた直後に容体が急変し、搬送先の別の病院で死亡した。被害にあった会社員は、自分の性に違和感を抱く 「性同一性障害」の症状に悩んでいた―。

この国では長らく闇に葬られていた性転換手術が、およそ三〇年ぶりに騒動を巻き起こしたのである。昭和四四年(一九六九)のブルーボーイ事件以来の大ニュースである。しかし不可解なことにいっこうに進展がなかった。

動きがあったのは、二〇〇五年六月一七日。 「性転換で男性死亡 院長を業務上過失致死容疑で書類送検へ」 三年あまりもの長い時間をかけて、警察は和田医師を犯罪者に仕立て上げようと水面下で動いていたのである。 鳴りを潜めていたマスコミが、またしても俄かにざわついた。 業務上過失致死容疑をかけられた和田医師は、風評の嵐を浴びることとなる。

結果的には不起訴処分(起訴猶予)であったが、和田医師は、心身ともに疲労困憊していた。 まもなくして、自身の美容外科人生を振り返るブログを開設する。「性転換手術   美容外科医の Blog 」が、それである。 そこには世間では語られていない真実があった。ブログという誰でもアクセス可能なツールを使って綴ったのは、長きにわたる不可解な取り調べの内情を、自ら伝えておかねばならないと思い立ったからではないだろうか。 うすうす死期を感じていたのかもしれない。更新が途絶えたおよそ一〇ヶ月後に和田医師は この世を去った。

(続く)

※2月4日方丈社より発売される書籍「ペニスカッター」より、本文を抜粋。WEB掲載に際し、一部構成を変更しています。

※本文の引用文(和田耕治医師のブログ、メール文、供述記録)には今日の人権意識に照らして不適切と思われる表現が一部ありますが、 執筆時の時代背景を考慮し当時のままと致しました。(方丈社編集部)


ぺニスカッター目次

はじめに  
序 章  
第 1 章 生い立ち—大学時代   公美子回想 1  
第 2 章 外科から形成外科、美容外科へ   公美子回想 2  
第 3 章 大阪へ   公美子回想 3  
第 4 章 初めての性転換手術  
第 5 章 新しい動き 
第 6 章 開業へ  
第 7 章 「和田式」 の変遷  
第 8 章 最初の事故  
第 9 章 性転換・美容整形へ全力投球  公美子回想 4  
第 10 章 最も不幸な医療事故   公美子回想 5  
第 11 章 医療機関への憂慮と希望  
第 12 章 神に感謝  
終 章 燃え尽きて  
長いあとがき


著者プロフィール

和田耕治(わだ こうじ)

1953-2007年。性転換(性別適合)手術の第一人者で、大阪市北区の美容・形成外科「わだ形成クリニック」の院長を務めた。宮崎県延岡市出身。群馬大学医学部を卒業後、東京逓信病院、東京警察病院、大手美容クリニックを経て、1996年に大阪で開業。1997年に日本精神神経学会が「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」を策定した後も、ガイドラインに束縛されることなく、患者の希望に沿い性転換(性別適合)手術を行った。その手術数は国内で600人以上。学会や社会からは異端児されたが、ジェンダーに悩む多くの人々に尽力的かつ安価に、医療手術・整形手術・性転換(性別適合)手術などを行った。2007年、自身の病院で突然死した。

深町 公美子(ふかまち くみこ)

群馬県前橋市出身。就職先の群馬大学で、学生の和田耕治と出会い結婚。現在は鍼灸師、認定エステティシャン、東洋アロマセラピスト、薬膳五味五色コーディネーター。鍼灸(東京医療専門学校)、美容(SABFA)の学校を卒業後、A-ha(アハ)治療室開業。著書に『押せば変わる! 美人のツボ100』(集英社)、『体と心にきく毎日のツボ』(集英社・セブン&アイ)、料理本『冷え冷えガールのぽかぽかレシピ』(主婦の友社。韓国・台湾でも発売)などがある。大手企業マガジンではツボやアロマの連載、女性誌、健康雑誌では美容・健康に関する特集や別冊付録を数多く手がけている。

性同一性障害の手術を約600例執刀した医師・和田耕治の知られざる物語。

この連載について

性同一性障害を救った医師の物語

和田 耕治/深町公美子

「たとえ罰せられても医師として覚悟の上。国や法律ができる前から医療は存在してるんだ」。 性同一性障害者の手術を約600例執刀した医師・和田耕治の知られざる物語。 日本国内で性転換(性別適合)手術がタブーの頃から自らの哲学のもと、性に...もっと読む

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