新年「生まれ変わりたい」あなたに。トルストイの傑作短編小説

ちょっと暗いけど新年におすすめの小説です。ふっと本から顔を上げると、人生がちがったものに見えて――ある意味生まれ変わったような気になったりする一冊。物語の主人公、イワン・イリイチが死を前にしてはじめて、自分の人生とその終わりを見つめたように、新年、このおそろしい小説に照射されて浮き上がるあなただけの人生を味わってほしい。

 つきなみな言葉なんだけど、新年のことが好きなのは、生まれ変わったような気持ちになるからだ。
 もちろん生まれ変わるなんてありえないってわかっていて、2018年のわたしも2019年のわたしも変わらない。残念ながら体重は同じ、身長も変わらず、2019年になって変わったことといえば年末にできていたニキビがなくなったくらいだ(やったね!)。
 だけどそれでも、わたしたちは暦を必要として、「新しい年だ!」ってよろこぶ。
 一度、今までの年が終わり、これからの年が始まることを確認する。新年の目標なんか立てたり抱負を述べたり、今までとちがう自分であることを、少し、願う。
 それはある意味、一度死んでもう一度生まれることのメタファーなのかもしれない。2018年のわたしは死んだのだ、2019年のわたしに生まれ変わったのだ、と幻想を抱くことにわたしたちは癒される。

 ほら西暦によって年越しするのも楽しいけど、元号が変わることだってわりと楽しいし。平成が終わることにみんなちょっと浮かれたりして。
 昔の人が嫌なことがあったら改元していたのがよくわかる。元号で一区切りつけて、何かが終わるのだ、って言うのわりと楽しい。元気になる。平成が終わるの、みんなわくわくしてる。
 一度死んで、生まれ変わりたい。そんな願望は意外と普遍的だからこそ、人類は暦を持ったり神様が生まれ変わったりする物語を語ってきたんだろうなと思う。

 だけど暦なんてなくても。
 わたしの場合、もっとお手軽に「生まれ変わった」気分になる方法がある。
 それは、『イワン・イリイチの死』という小説を読むことだ。

 新年初っ端から暗い小説を紹介してしまうのだけど(いやでも傑作だし短いから新年の忙しい時期でもさくっと読めるよ!)、トルストイの『イワン・イリイチの死』という短編小説を紹介したい。


『 イワン・イリイチの死』トルストイ (著),望月哲男 (翻訳)
(光文社古典新訳文庫)

 舞台は19世紀ロシア。ある裁判官の葬儀から、物語は始まる。
 この小説は19世紀に書かれたのだけど、現代に生きるわたしたちが読んでこれくらいこわい物語もない。
 というのもこれ、要は「スペックも高く、出世も結婚も子育ても上手くいったひとりの人間が、それにもかかわらず人生を後悔し過去をあやまちであったと感じる」話なのだ。

 主人公は皆に愛され、妻子供にも恵まれ、出世も果たし、スマートで品の良い男性だった裁判官イワン・イリイチ。彼は死ぬ間際三日三晩苦しんで死んだと妻は言う。
 さらに葬儀にやってきたイワンの同僚たちは、内心イワンの死によってどのポストが空くのか考え、そしてイワンの妻は彼の死によって与えられる年金をどうやったら多く引き出せるか考えていた……というエピソードが語られる。
 そしてイワンの生前の物語が始まる。「もはや過去のものとなったイワン・イリイチの生涯の物語は、きわめて単純かつ平凡で、しかもきわめて恐ろしいものだった」という言葉とともに。


 イワンは、素敵な女性を妻にしたとかお給料のいいところに就職したとか仕事に打ち込んだとか、たとえば現代の自己啓発本が「成功例」として挙げるような人生をおくる。
 しかし死ぬ間際。突如彼は自分の人生が「胡散臭いもの」のように思えてきてしまうのだ。

自分では山に登っているつもりが、実は着実に下っていたようなものだ。まさにその通りだ。世間の見方では私は山に登っていたのだが、ちょうど登った分だけ、足元から命が流れ出していたのだ……。そしていまや準備完了、さあ死にたまえ、というわけだ!(『イワン・イリイチの死』(トルストイ著、望月哲男訳、光文社古典新訳文庫)より引用)

 今までずっと自分はいい人生を送ってきたはずなのに。人生はいつだって「気楽で、快適で、陽気で、上品」だったはずなのに。いつだってポジティブな言葉を口にし、快適で上品な乗り越え方を探してきたのに。
 なぜ思い返してみると、これほどまでに自分の人生が胡散臭く思えるのだろう?
 イワン・イリイチは死を前にしてはじめて、自分の人生とその終わりを見つめる。

 正直、読者としてはこの話を読むと、頭を抱える。だってイワン・イリイチくらいスペック高くて賢そうな人間が、死ぬ間際に「え、俺の人生まじで無意味じゃね?」なんて考えられたら、わたしたち凡人はどう人生を送ればいいのだ……と絶望する。
 それでもイワン・イリイチは問う。人生がもしも本当に無意味なものだとしたら、どうして死ぬときにこんなにも苦しむ必要があるのだろう? と。

 わたしたち人間は、いつだって「うまくやろう」と考える。
 失敗しないように、自分の望む方向に行けるように、気楽で快適なところへ行けるように。
 もちろん「うまくやろう」と思うことは人生に不可欠だ。努力すれば自分の望むものが手に入る確率が高まる。仕事だって結婚だって子育てだってできる限り失敗はしたくない。たとえ失敗したとしても何か手を打つしかない。

 だけど「うまくやろう」「うまくやろう」としすぎたその先には、実は「うまくやる」ことが目的となった世界が広がる。
 これがすんごく難しいとこだ。

 たとえばちょっとでも自分のお金は増えたらうれしい。だって欲しかったものが手に入る。だから少しでも手に入るお金を増やそうとがんばる。けど、もしお金を増やすことを目的にしすぎてしまうと、結局あとから振り返ったときに「あれ、いったい何がしたくてこんなにお金を増やすことに奔走してたんだっけ……」とむなしい気持ちになってしまう。だって人生の時間は有限で、お金を増やすことに奔走していた時間は、もしかすると本来お金を使ってやりたかったことができたかもしれないから。

 でも「うまくやる」ことはいつだってわたしたちを誘惑する。ほら、もっとうまくやる方法があるよ、もっともっとこっちに来なよ、と。
「もっとうまくやる」ことがいいことなのかわるいことなのか、その時点ではたいてい、わからない。

 じゃあどうすればいいのか? ってそんなこと考えても答えはないんだけど。


 でも、ひとつだけ答えがあるとすれば—この『イワン・イリイチの死』という、ひとりの「うまくやる」ことにとりつかれて死んだ男の話を読み、「イワン・イリイチの人生には何が足りなかったのか?」と考えること、だと思う。
 イワン・イリイチには何が足りなかったのか。その答えはきっと人によってちがう。たとえばイワンには夢中になる趣味が足りなかったんだよ! とか、もっと愛する人に真剣に向き合うべきとか、そもそも自分の人生を振り返るのが遅すぎる、とか。
 読んで考えてみれば、きっと、あなたにはあなたの回答がある。
 それはおそらくあなた自身の大切なもので、このおそろしい小説に照射されて浮き上がるあなただけの人生なんだと思う。
 わたしも考えてみたのだ。そして、そんなことを考えたあと、ふっと本から顔を上げると、人生がちがったものに見えて—ある意味生まれ変わったような気になったりする、のである。

 イワンは人生は無意味だと言っていたけれど、意味なんてあってもなくても、人生は苦しいものだと思う。苦しいってか、まじ大変。生きてくの、大変だよほんと。人生を続けてるみんなえらいよ。
 たしかにイワンの言うように、死ぬことはこわい。けど、これから先の人生を生きるのも、やっぱりこわい。だって何が待ち受けてるか、本質的には絶対わからないから。
 だけどそれでも。私たちは生きるしかない、今年も。
 何があるかわからない世界で、どうがんばっても大変なことが待ち受ける人生を、がんばって生き続けるしかない。
 だからこそ、死ぬ間際に思い出せるような、ちょっとでも楽しくて嬉しい、大切なものを増やしていくのが大切なんだとわたしは思う。
 イワンのように「あれ、自分の人生って何なんだったっけ?」って思うときが、いつか来るから。

『イワン・イリイチの死』、ちょっと暗いけど新年におすすめの小説です!
 今年もがんばって生きましょうね。つらくなったら小説でも読んでひと休みして、少しでも楽しい時間を増やせるよう、やっていきましょ!

この連載について

初回を読む
わたしの咀嚼した本、味見して。

三宅香帆

人気連載【京大院生が選んだ「人生を狂わす」名著50】がリニューアルして再スタート! 書籍『人生を狂わす名著50』の著者であり、現役の京大院生で文学を研究し続ける24歳の三宅香帆が、食べて、咀嚼して、吐いた本の中身を紹介するブックガイドです。

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コメント

ikb イワンと言われて「イワンのばか」をおもいだしたけれど、違う話のようだ。そもそもトルストイは未読だ…… 6日前 replyretweetfavorite