◆枝折が“電書テロリスト”と化した漣野と直談判!
前回と同じファミリーレストランに入る。奥の席に目指す人物がいた。自分の推測におそらく間違いはないだろう。そう思い、向かいの席に腰を下ろした。
「このネット小説は、漣野(れんの)さんが書かれたものですね」
枝折(しおり)はスマートフォンの画面を見せる。漣野は首を傾げて「電子書籍専売の件ではないんですか」と尋ねてきた。
違ったのか。枝折は途端に自信がなくなる。異様に詳しい電子書籍に関する記述。そのことから、漣野だと思ったのだが勇み足だったのだろうか。
「どういう小説なんですか」
漣野に水を向けられ、内容を要約して説明する。
「なにが問題になっているんですか」
出版社の内情が書いてあることを枝折は指摘する。
「そうですか。でも、おかしいですよね」
「なにがですか」
「出版社と作家は、まともな契約は交わしていないです。そもそも守秘義務契約はないです。それに出版契約を結ぶのは、本を書き上げて出版する直前です。作家側は、なにも保証がない代わりに自由がある。そうした取り引きを望んでいるのは、出版社側のはずです」
反論しようとして言葉を飲み込む。出版の世界は口約束で動くことが多い。それは信頼で成り立っているシステムと言える。しかし、そこから信用を引き算すると、ただの無法地帯になる。
「誰が書いたのかは知りませんが、もし止めるのなら名誉毀損罪で訴えるんですよね。春日さんの話では、イニシャルで書いてあるだけのようですが。
仮に個人が特定されたとしても、書いてある内容は、登場している人物の社会的評価を下げることなんですか? もしそうなら出版社は、他人に知られると社会的評価が下がるような仕事をしているということになりますよね」
漣野は涼しい顔で言う。
確信した。この小説を書いたのは漣野だ。しかし、そのことを非難すれば、出版社にも火の粉が降りかかる。掲載されている内容が事実だと認めるのはリスクを伴う。
漣野はちらりと時計を見る。
「他に話はありますか。原稿の件でもない、本を売るという話でもない。それならば、長く話をする理由はありません。そろそろ帰ってもいいですか」
立ち上がろうとする漣野を止める。
「このネット小説には、電書テロリストという言葉が出てきます。テロの対象は出版社だと思います。目的はなんだと思いますか」
席を立った漣野は、背を向けたまま答える。
「炎上目的ではないですか。出版社が話題作りをしない。そうした時代に、作家ができることは、自身で話題を作ることです。
作家が出版社に頼る必要がないのなら、出版社を炎上の対象にすることで人々の注目を集められます。これまで作家が口をつぐんできたのは、発表先と収入源を依存していたからです。
ネットの台頭と出版不況で、舞台とお金の独占が終わりました。テロリストの攻撃を防ぎたいのなら、出版社自身が変わらなければならないと思います」
漣野は出版社から、今後紙の本を出さないと言われている。出版社におもねる理由はどこにもない。口を閉ざす理由がないのならば、出版社への恨みを全て吐き出しても、なんの不都合もない。
漣野は出口へと歩きだす。彼はどこに向かおうとしているのか。漣野の行く先には、身を焦がす劫火が待っているように思えた。
翌日出社した枝折は、岩田(いわた)とともに四階の会議室に入った。昨晩の訪問内容は既にメールで伝えてある。
「どうすればいいんですかね、岩田さん」
枝折の声に、岩田は渋い顔をする。
「俺も読んだ。現状では、放っておくしかないな」
なにかやるべきことがあるのではないか。そう主張する枝折に、岩田は首を横に振る。
「名前はイニシャルだけだ。モデルにしただけだと言われれば、それ以上突っ込むのは難しい。
内容については、フィクションというよりノンフィクションだ。しかし、非難したり公開停止を求めたりするのは、やぶ蛇だろうな。うちの会社がモデルだと認めることになる」
漣野が言ったとおりだ。有効なアクションは取れない。
漣野のネット小説には、芹澤(せりざわ)とのエピソードも多く出てくる。芹澤が動かないかと岩田に尋ねる。
「紙の本が出ているなら報復は簡単だ。今後本を出さないと言えばいい。だが、漣野さんは既に切られている。芹澤の手に、手綱はない。そして、訴えれば自身の評判を落とすことになる。社内政治で不利になるから、訴訟なんかやりたくねえだろうな。
それよりも俺は、漣野さんの方が心配だ。ネット時代になり、編集者は、作家と読者の緩衝体として機能しなくなった。作家を様々な火の粉から守るのも、編集者の仕事だ。直接表に出ると、様々なリスクを抱え込むことになるからな。
まあ、作家を守る編集者は、今では少数派かもしれん。保身ばかりを考えるサラリーマン編集者が多いのも事実だ。
それよりも春日、原稿だ。作家が陰でなにを考えて、どんなことをしているかは関係ない。俺たちにとって重要なのは、彼らの言葉を汲み上げて、それを読者に届けることだ。漣野さんの暴走は、俺たちにそれができていないからだと考えろ」
「はい」
「なあ、春日。このネット小説は、漣野さんが本当に読者に届けたいことだと思うか」
「違います」
漣野の過去の作品は全て読んだ。その上で、このネット小説は、漣野が書きたいこととは無関係だと断言できる。ただ周囲を攻撃して煽るためだけに書いている。
岩田と枝折は視線を交わす。やるべきことは理解できた。
「漣野さんが本当に書きたいことを引き出します。その上で、より多くの読者に届くようにします」
「任せたぞ」
枝折はうなずく。編集者としての自分の仕事。枝折は自身の胸に、自分がやるべきことを刻み込んだ。
一週間後、炎上は新しい段階を迎えた。
小説の舞台が枝折の勤める会社だと、炎上ウォッチャーのブロガーによって特定された。
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