◆月下門人
小料理屋は月の光に包まれている。二階にある南雲(なぐも)の部屋には灯りが点っている。
畳敷きの六畳間。天井まである木製の本棚。本は生き物のように増殖して、棚からあふれ出している。そして押し入れや部屋の隅に、段ボール箱の巣を無数に作っている。
部屋の奥には窓がある。木製の枠で立て付けが悪い。きちんと閉めても灯りを消せば、月光が筋となって畳に落ちる。窓の下には座卓がある。卓上にはモニターがある。南雲は座椅子に座ってキーボードを叩いている。
今は十月。七月に漣野(れんの)と知り合ってから三ヶ月が経った。年の離れた友人に、新しい世界を見せられて大いに刺激を受けた。自分は停滞していたことに気づいた。小説に対して、新たな決意を持つことができた。
南雲は、座椅子の横に手を伸ばす。盆の上には、急須と茶筒と魔法瓶がある。茶葉は店で出しているものだ。そのため、そこらの安手のものではない。南雲は机の上の湯呑みに茶を入れる。少しずつ喉を潤しながら、頭の中の文字を画面に写し取っていく。
岩田(いわた)や春日(かすが)に依頼された電子書籍専売の原稿は、毎日四時間ずつ書き進めている。残りの時間は異なる原稿に費やしている。
精神と時の部屋——。漣野は、ネットの小説投稿サイトをそう呼んでいた。短い時間で、濃密な修行をできる空間という意味だそうだ。
漣野が勧めたのは、「小説家になろう」や「カクヨム」で毎日小説を連載することだった。そうした場所に投稿すれば、何人かが読んでくれて、面白ければ継続した読者になってくれる。
ポイントをつけたり星をつけたりすることで評価してくれることもある。また、直接感想を残してくれる人もいる。これらは全てリアルタイムでおこなわれる。
朝書いた小説を昼に公開して、数分後に感想がつく速度感だ。紙の本では、読者と作者が、このように密に交わることはない。
「ネットの小説は反応がすぐ分かりますし、読者の指摘で書き換えることもできます。今起きている新しい電子の小説を体感するには、試してみるのが一番です」
漣野に言われた時は半信半疑だった。編集も通さず、出版社も通さず、果たして読む人がいるのだろうかと疑問に思った。
「ネット小説の基本はコミュニケーションです。最初に参入する際は、他人の小説に感想を書いていくとよいです。そうすることで自分の小説も読んでもらえます。
また、投稿時間を調整するのも大切です。読者を獲得するチャンスは、新着に情報が載っているあいだだけです。人がいない時間に投稿しても、新規の読者は流入しません。
狙い目は、朝と夕の通勤通学時間、そして昼飯時です。多くのユーザーが一斉に新着情報を確認します。夕方については、社会人をターゲットにするか、学生をターゲットにするかで時間帯が異なります。
タイトルも重要です。タイトルを見ただけで、自分が読むべき作品かどうか判断がつかなければなりません。
最後は情報発信です。ツイッターをして、ネット小説の読者をフォローする。そうやって一人ずつ読者を増やしていきます。そして、ある一定数を超えると自然増に転じます。出版社を通す小説では、この最初の小さな営業がありません」
漣野は各サイトのアクセス情報の見方も教えてくれた。
南雲は漣野の助言に従い、最初の一ヶ月で一本の連載作品を公開した。毎日、十二時半に投稿した。昼飯が終わったあとの一休みのタイミングを狙った。
読者は数百人に留まった。新着情報から来た読者の多くは、小説を読む前に離脱していた。そのことから、作品冒頭の紹介文の改良が必要だと気づく。
上位百件の人気作を見て、おおよその傾向をつかむ。文字数、文章構成、単語選びなどを参考にする。読者が読んでみようと思うポイントがどこなのか把握できた。
修正後、紹介文での離脱は改善した。しかし今度は、第一話で脱落する人に悩まされた。一話だけでも楽しめなければならない。数話読んでみようと思わせるために、各話の適切な分量があることも知る。
自分が学習したことを漣野に伝えると、アドバイスをくれた。
「一本目を打ち切り、これまでの経験を注ぎ込んで、二本目を書いてください」
二週間ほどの休止期間を置き、そのあいだに三十話書きためた。そして、毎日狙った時間に投稿した。読者数は、一週間で一作目と並び、二週間で最後の紙の本の販売数を超えた。
題材もよかったのだろう。文芸誌の編集部に、新人が入って来るという内容だ。新人は、文芸よりもマンガの編集部に行きたかった人間で、慣れない仕事に右往左往する。サイトの利用者の多くは小説の現場に興味を持っている。そのため読者は増え続けた。
南雲は数字を見ながら、これは麻薬だなと思った。書けば書くほど読者が増え、反応をリアルタイムにもらえる。読者の書き込みを確認しながら、次の展開を修正したり、差し替えたりする。
一円にもならないが満足度は高かった。読まれるということが、これほど刺激的だと思ったのはデビューの時以来かもしれない。
南雲は、漣野から見せてもらった電書テロの草稿を思い出す。その中の登場人物が、相棒に語る台詞がある。
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