全て壊れればいいのに! いよいよ電書テロに傾く漣野のトラウマとは

【第16回】
相変わらず漣野と担当編集者・春日枝折との打ち合わせは噛み合わない。もはや出版社に対して希望が持てない漣野はますます電書テロに傾いていく。そんな漣野は高校2年の時に手痛いトラウマを負っていた。

文学少女が編集者として一人立ちしていく姿を追いながら変貌する出版界の明日を占うお仕事小説。


◆赤き空を望む者

 九月になった。

 表通りから細道に入り、二回曲がった先にある住宅密集地。木造二階建て、猫の額ほどの庭。火事が起きれば、消防車はたどり着けない隘路の家。

 漣野(れんの)が寝起きしている部屋は、その家の二階にある。小説もそこで書いている。同じ屋根の下には母親が住んでいる。しかし言葉を交わすことは、週に一度あるかどうかだ。引きこもるようになって以来、母親とは距離を置いている。

 サラリーマンだった父親は、漣野が物心つく前に死んだ。そのあとは、母親が保険の営業をして家計を支えた。母親が仕事に行っているあいだ、父方の祖母が漣野の面倒を見た。祖父や母方の祖父母は、既に亡くなっていた。

 パソコンのモニターには、書きかけの電書テロの原稿が表示されている。原稿は既に九割方できている。あとはラストを仕上げるだけだ。

 視線を動かして時計を見る。そろそろ外出しなければならない。春日枝折(かすがしおり)、電子書籍担当との打ち合わせ。先週送った原稿について、駅近くのファミリーレストランで話し合うことになっている。

 個人と出版社の数字を比べて公表する。その仕掛けを成立させるには、春日が求める原稿も必要だ。それも手抜きの内容では駄目だ。誰が見ても売れるレベルの作品にしなければならない。

 しかしその意図とは裏腹に、原稿は迷走していた。


 暦上は秋になっているとはいえ、まだ夏の暑さが抜けきっていない。日差しの下は、動くと汗ばむ熱気を孕んでいる。

 大通りに出て、駅への道をたどる。待ち合わせ場所のファミリーレストランに着いた。春日はまだ来ていない。自分と違って忙しいはずだ。

 しばらく待っていると扉が開いた。颯爽とした女性が入ってくる。

「原稿、読ませていただきました」

 春日は封筒を出して、中から印刷した紙の束を取り出す。

「どうですか」

 冷めた気持ちで意見を求める。編集者と付き合い始めた頃は、プロの意見を聞けると思い拝聴していた。しかし、徐々に素直に聞けなくなった。販売部数が減る状況が続くと、編集者の指摘は正しいのかと疑うようになった。

 自分が悪いのは分かっている。大ヒットを飛ばせるような作品を書いていない。しかし、編集者と組むことで数を伸ばせないのなら、一人で書いていても同じではないか。そして、紙の本が出ないという宣告—。

 自分の中で、出版社や編集者に対する信頼は崩れてしまった。彼らにとって自分の小説は、大量生産品の一つでしかない。そう思ったあとは、雪崩を打つように全ての景色が変わった。

 —電子書籍専売で書かないか。

 電子のトップである岩田(いわた)に誘われた時、少しだけ気持ちが動いた。だがそれは蜘蛛の糸だとすぐに気づく。自分にはまだ社会的な価値があると信じるための、まやかしの希望にすぎない。

 期待しては駄目だ。その気持ちが強まったのは、岩田が春日を紹介した時だ。あとは新人に任せる。それはつまり、経験を積ませるための練習台にするということだ。一人の落伍者を潰すことで、一人の編集者が育てば社会的にはプラスになる。

「まず、この五ページ目の展開なのですが」

 電子書籍にするのに紙のページで言われても。

 編集者たちは、原稿を確認するのは紙の方がよいと言う。彼らにとって電子は紙より劣る。精読に値するものではなく、流し読みしかできないものだと思っている。
 しかし、この打ち合わせも無駄ではない。全て電書テロの原稿に反映される。

 春日の話が続いた。そろそろ反論するかと思い、手で遮る。

「おっしゃることはごもっともですが、電子の本では紙の本より読者のターゲットは限定されます。より広い読者を求める方向性が正解ではないはずです。この層には、こちらの方が刺さる。そう判断して、プロットを組み立てています」

 マスに売るつもりはない。そうしたものも求められていない。より狭い層に深く刺さる内容。そうした選択を重ねて、物語は構築している。

「しかし、もっと対象読者を増やしたいんです。そのためには、より多くの人が好む展開にしたいんです」

「より多くの人に売ってくれるんですか」

 意地悪な質問をする。春日は眉を寄せ、口を固く閉じて次の言葉を探す。春日はすぐに代案を出す。さすがに頭の回転が速いなと感心する。

「検討してみます」

 今の部分については帰宅後に考えると告げる。春日は次々と指摘をしてくる。そのどれもが、多くの人が読んでくれるという前提のものだ。

 漣野の心は沈んでいく。多数の読者を得られるなら、もっと良好な関係を築けるだろう。春日は懸命に仕事をしている。その姿勢は、社会から脱落した者の目から見ても評価できる。

 漣野は自身の心を抑え込みながら、春日との対話を続ける。

 その日の打ち合わせは一時間ほどで終わった。漣野は、春日から渡された封筒を持ち、ファミリーレストランを出た。

 日差しは強く、すぐに汗を搔いた。手の甲で額の汗を拭う。

 全てが壊れればよいのに。
 戦争でも起きればよいのに。

 漣野は空を見上げる。雲一つない空が広がっており、戦闘機や爆撃機の姿はない。
 眉を寄せる。機関銃を持ち、街の中に立つ自分を想像する。

 壊れないのなら壊せばよい。漣野は目元に力を込めて、自宅への道をたどり始めた。


◆穴蔵の夢想者

 自宅に戻り二階に上がり、原稿の入った封筒を机に投げる。
 漣野は椅子に座り、頭のうしろで指を組む。しばらくその姿勢で過ごしたあと、パソコンの電源を入れて起動するのを待った。

 穴蔵に引きこもる自分。

 別に生まれた時からずっと潜んでいたわけではない。小学校、中学校に通い、高校に入学した。友人がいなかったわけではない。共通の趣味を持つ仲間たちがいた。

 あの失敗がなければ、自分の人生はどう変わっていただろうか。漣野は目をつぶり、高校二年の秋の出来事を思い出す。


 高校時代、男女共学の進学校に漣野は通っていた。

 十月の半ば、昼休みの高校の教室。窓は閉めたままで、人いきれでむっとしている。二年三組の教室は、生徒たちのざわめきで満たされていた。

 声変わりした男子の声。甲高い女子の声。驚きの声、笑い声。そうした声は、いくつかのグループに分かれていた。

 力が有り余っている運動部男子の集団。自信と華やかさで輝いている、女子カースト上位の者たち。中学時代から続く友人の集まりもある。

 漣野が属していたのは、教室の端の小集団だ。男二人に女二人。マンガ好き、アニメ好き、ゲーム好き、そうしたオタクと呼ばれるグループに漣野はいた。

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#電書ハック

柳井政和

小説が好きで出版社に就職した春日枝折だったが、配属されたのは電子書籍編集部。 紙の本から戦力外通告を受けた老作家、ネット民には刺さる準引きこもり作家、紙の本には目もくれないデジタル電子書店員たちとの出会いに戸惑う枝折。 やがて作家たち...もっと読む

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