◆ブック・ハンター
八月のお盆前。猛暑の東京で枝折は仕事を続けている。母親からは、お盆はいつ帰ってくるのと電話があった。仕事が忙しいから、どうなるか分からないと答えた。
実際、枝折は日々の業務に加えて、大きな仕事を複数抱えていた。
岩田からリストを引き継いだ春日文庫。BNBの専売企画。絶版狩りへの対策。
七月に絶版狩りへの対策を任された枝折は、そのあとすぐに作業に入った。電子化の許諾が取れていない作家のリストを作り、手紙を送った。
反応があった人に対しては、電話や手紙のやり取りで電子化の契約を進めている。残りは優先順位をつけて、追加の手紙を送付してアポを取り訪問している。
一ヶ月や二ヶ月で終わる作業ではない。今後時間をかけて処理していくことになる。部署の人間も手分けして手伝ってくれている。その作業と並行して春日文庫の打ち合わせに奔走した。
枝折は新入社員とは思えないほど、様々な仕事を任された。それは紙の部署に行きたいと言う枝折に、無駄なことを考えさせないための処置に思えた。
「俺たちはキリギリスだからな」
岩田は相変わらず、枝折には分からない台詞を、吐き続けていた。
千葉の松戸を過ぎ、鈍行の駅で降りた。今日はここに電子化の許諾を取りに来ている。作家の名前は遠海響(とおみひびき)。本名は遠海義雄(とおみよしお)。歴史物を得意としており、戦国時代を題材とした作品を多く書いた。
NHKの大河ドラマは、戦国時代をよく扱う。今後、遠海が書いた武将のドラマがあれば、電子化すれば売れるはずである。そのための準備として、契約の交渉に枝折はやって来た。
遠海の新作は、この七、八年出ていない。老人介護施設に入ったからだ。今は施設のベッドで寝たきりだそうだ。当然、新しい小説を書く体力はない。
枝折はバスに乗り、遠海の入所している施設を目指す。駅を離れると、すぐにビルはなくなり、畑や林のあいだに、まばらに家がある景色になった。
施設に着き、受付で用紙に名前を書き、遠海の部屋に向かう。大部屋の入り口に遠海の名前があった。一部屋に四人分のベッドが並んでいる。
遠海のベッドの横に、中年の男がいた。家族かと思ったが、親子のような親しさはない。スーツを着て姿勢を正していることから、自分と同じ外部の人間だろうと想像する。
話が終わるまで待った方がよさそうだ。入り口の横に立ってぼんやりと待っていると会話が聞こえてきた。
「——それでは電子書籍版の——」
脳が一瞬で覚醒した。慌てて遠海のベッドまで行き、男の顔を確認する。
年齢は五十代半ばぐらい。顔は柔和で、眉毛がもっさりしている。スーツは着古したもので、少し襟が歪んでいた。
枝折に気づいた男は、軽く会釈して遠海に視線を移す。現れた女性が家族なのか知るために、反応を確かめているのだろう。どうやら違うと判断したようで枝折に目を戻した。
「どちら様でしょうか」
枝折は、会社名とともに名前を告げる。
「ああ」
男は楽しそうに頰を緩める。そして立ち上がり、名刺を差し出してきた。
「碧文社(へきぶんしゃ)の霜月(しもつき)です。遠海さんの著作物の電子化権を管理させていただいています」
絶版狩り——社内でそう呼んでいた人間の一人が、目の前にいた。
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