彗星の孤独

残照

坂本龍一さん、大貫妙子さんらから賛辞を送られる音楽家であり、ノンフィクション等の著書も多数持つ文筆家でもある寺尾紗穂さんのエッセイ集『彗星の孤独』(スタンド・ブックス)から珠玉のエッセイを特別公開。第1回は巻頭エッセイ「残照」。日が沈みゆく空を仰ぐ時に思い出す、遠ざかる父の背中、もう会えない人のこと。


寺尾紗穂『彗星の孤独』より「残照」

「悲しい切ない感じの曲が多いですね」と言われる。たまに明るい曲をやると「もっとこういうのをたくさんやればいいのに」と親切に言ってくれる友達もある。直言はありがたいがどだい無理な話である。自分のベクトルがなかなかそちらに向かない。

 しかし、明るさやノリに乏しい音楽はあまり子供に受けない。レコーディングしてきたものを聴きなおそうと、家のデッキでかけていると、娘は「ハマケンのおうた」とつぶやきにくる。浜野謙太氏が送ってくれた「在日ファンク」のリクエストである。CDを交換し、悔しいが仕方なしに娘と「北へ北へ北へピョンヤン!」と歌う。最初は仕方なしにでも歌っていると楽しくなってしまうのが、在日ファンクのすごいところだ。楽しいことは大好きである。でもそれと、自分が何を作りたいかということはまったく別だ。

 元ベーシストの娘であるがゆえ、また二世アーティストか、とプロフィールを眺めて受け止められることも多いらしい。そう受け止められることについて深く考えたこともなかったのだが、そういう時の「また」には、どうせコネでデビューしたんだろう、というニュアンスが含まれているようだ。そこまで悪意がなくとも、小さいころから家にミュージシャンが出入りしたり、セッションを聴いたり、ライブに連れて行ってもらったり、家にレコードがわんさかあったり、そういう音楽的に恵まれた環境で育ってきたんだろうという視線があることは確かなようだ。

 あいにく父は私の生まれる2年前にぱったり音楽をやめてベースも人にあげてしまっていた。父のレコードの山といったものも見たことがない。私は父がベースを弾く姿はおろか、ベースという楽器を見ることもなかった。その音色がどんなものであるか、ギターと何が違うのかまったく知らなかった。いや正確にはベースの音は情報としてキャッチできていたと思う。一度聴いた曲はほとんどピアノで左手をつけて再現できたから、ベースの音を聴いていない訳はないのである。しかし、ピアノの左手の一番低い音の部分がベースと同じ、という知識がないから、ベースの音色はどれだと言われてもわからなかった。ピアノの左手の底の音、と教えられて耳をよくすましてみると微かに地味に響いている音。ピアノの左手とは比べ物にならないくらい、頼りない小さな音。それが私にとってのベースの音だった。大学に入ってのちに一緒にバンドを組むNKDと出会い、音楽を作り始めたころはそんな状態だった。

 翻訳の仕事を始めた父の仕事道具はタイプライターで、それをいじらせてもらっているのが、私の父に関する最初の記憶だ。3つ下の弟がまだ幼いうちに、父は家を出て仕事場を持ち、そこで暮らし始めた。父は私たちにとって、たまに来る人になり、やがて年に数回会う人、その後正月だけ会う人になった。ひと回り下の妹が幼いころ、父が仕事場に戻る時、泣いていやがっていたのを覚えている。その妹を見ているのが辛かった。どうしてこんなに小さな妹が悲しまなければならないんだろう。私自身はすでに父の不在に慣れきって、むしろ父に対しては父親業を放棄した人、と醒めた目で眺めていた。我が家は「フツー」の家庭ではなかったが、「フツー」でないこともさほど悪いものとも思わなかった。ただ泣いている妹を見た時、初めて怒りと疑問が込み上げた。けれどそれをどこにぶつけるべきか、すでに私にはわからなかった。心の中では父に対する感情、父の不在に対する感覚が麻痺してしまっていた。好きかと言われれば好きではあったが、それもかなり複雑なものになっていた。ファザー・コンプレックスという言葉があるけれど、単純な父親好きではなく、文字通り複雑化した感情だった。

 高校時代は父親より年上の先生に恋をしていた。同年代の恋人がいた大学時代も、やっぱり同じように年配の教授に恋をしていた。私がファザー・コンプレックスだったとして、そのことと関係があっただろうか。大学の後輩に、父親が大好きで父親と同じくらいの年の人しか恋愛の対象に見れないという女の子がいたが、私は真逆で、父のことは本当にどうでもよかった。結婚するとしたら父みたいでなく家庭を大切にする人、とだけ思っていた。私にとって父親は思い入れを持つには遠い人になり過ぎていた。時折CDや映画のビデオテープなんかを送ってきてくれたが、それはちょうど親切な親戚のおじさんから送られてくるような感じだった。寝起きを共にしない、家を出るというのは、つまりそういうことだ。

 しかし最近になって母から聞いた言葉は、大きな衝撃だった。

「パパが仕事場持ち始めたころ、K(弟)は小さくてよくわからないで、パパが帰る時もニコニコ手を振ってたけど、あんたはいつも目に涙をためてたんだよ」

 父の背中、遠ざかる影、ぼやけていく視界。確かに見ていたけれど忘れていた風景。忘れていたけれど見ていたはずの風景。潜在意識下に押し込められた、それは確かに私の原風景ではなかったか。密やかにせき止められていた感情があふれだし、母が帰ったあと私は何度も泣いた。そして同時にとてもほっとした。私にはその風景が必要だった。長いこと抱いてきた父への無感情。しかし自分の心を遡れば、抑えがたいまっすぐで純粋な愛がかつて確かにあった。子が親を恋う。当たり前の、でも私にとっては奇跡みたいに思えるその事実が必要だったのだと思う。

 私には2歳の時の記憶がある。3歳、4歳の記憶もたくさんある。父との別居が始まったのはもう少しあとなのに、私の中で涙をためて父を見送る記憶は完全に消えていた。引き止めても戻らない、求めても去っていく、愛する人にとり残される虚しさや切なさの記憶を、幼い私の心は、自ら消し、記憶の扉に鍵をかけたのだろうか。

 長調よりは短調の曲に惹かれ、みずからも切ないメロディーを紡ぐことが多いのには、もちろん生まれ持った暗さ、というものがあるに違いない。そういう星のもとに生まれた、ということだろう。けれど無感情の下に長いこと封印されていた、この物悲しい風景を知るにつけ、私は何だかようやく合点がいった気がしたのだ。いや、小さいころから浅川マキの「ケンタウロスの子守唄」を母の声でよく聴かされていたという、その影響のほうがもしかしたら大きいのかもしれないが。

 2月からレコーディングに入るため、この冬はアルバムタイトルを何にしようか、考えていた。今回は山谷の絵描き、坂本さんがモデルの曲が2曲あった。そして坂本さんはもうこの世にいなかった。加えて去年の秋、大切なファンのひとり、秋色さんをなくした。アルバムに集中しようとすればするほど、ぽっかりと穴の空いたような心は後ろ向きに、過去へ、もう会えない人たちへと向かった。また売れそうもない、かたいタイトルだ……と思いながら、「残照」という言葉が浮かんだ。最初はあまり好きになれなかった。でもこれしかないと思った。少しして好きな小説のタイトル『日の名残り』を同義語として思い出して、まんざら悪くないじゃないか、と思った。

 山谷の坂本さんがモデルの2曲は、意図せずして「放送禁止用語」が使われている、ということになったが、この2曲を含むアルバムの半分くらいは市ヶ谷のスタジオで録った。市ヶ谷で都営新宿線を降りて、地上に出るための地下通路を歩くと、誰もいない時もあったが、だいたいホームレスのおじさんが壁にもたれてしゃがんでいた。ある時はひとりでぼんやりと、ある時は複数でパーティー会場で出た残り物みたいな、銀の大きいトレーを広げてささやかな宴が昼間から開かれていたりもした。坂本さんを知りませんか、もしかして山谷にいらしたことはありませんか、背の低い人で眉が濃くって、目がぎょろっとしてて、絵を描いてた人なんです、中国語とかアジアの言葉をちょっと覚えて、建設現場をまとめてたとかで、私の通ってた大学も坂本さんが外国人労働者と一緒に作ったって言ってました。そんな妙な縁のあった人なんです。もうおととしか。亡くなりました。交通事故で。なんで交通事故でしょうね。びっこだったからかなって私直感的に思いました。現場で落ちて怪我したとかで足引きずってたんです。でもほんとは事故の怪我は治って退院したんだそうです。退院した日に死んだというんです。でもそんな死に方ってどうですか。そんな死に方って、どうですか。私これからそのおじさんの歌を歌いに行くんです。CDにするんです。今日はつまり、結構大切な日で。知らないですか、坂本さん。そんならそれでいいんです。ただ不思議な気分になっただけなんです。この地下通路で坂本さんとふとすれ違ったような、そんな気分になっただけです。

 階段を昇ると、JR市ヶ谷駅入り口の先に、近所のそれとは比べ物にならないくらい川幅の広い神田川が広がっている。鴨が一羽ぽつんと浮かんでいる。地下通路の明るさになれた目には曇天の光さえまぶしくて、空を映した白い水面からは少し湿った風が吹いてきた。いい音を録りたい。

 日が沈みゆく空を仰ぐ時、過ぎ去った今日を思う。それから昨日を思う。会えない人を思う。去っていった人を思う。なぜいないのかと思う。なぜ出会ったかと思う。今はどこにいるかと思う。湧き上がるいくつもの疑問符を残り陽はやさしく照らす。

 誰か教えてくれないだろうか。私が見ているその残り陽はつまり、あなたがいたという証なのか。あなたと私がいた、あの温かな時間の残光なのか。それとも、去っていったあなたを思いながら私が抱く、多分な感傷の残滓なのか、ということを。

*次回「風はびゅうびゅう」は、2/26公開予定です。

「丁寧に書くことは、丁寧に生きること。」(いとうせいこう)唯一無二の音楽家・文筆家による待望のエッセイ集

彗星の孤独

寺尾 紗穂
スタンド・ブックス
2018-10-17

この連載について

彗星の孤独

寺尾紗穂

坂本龍一、大貫妙子らから賛辞を送られる音楽家であり、ノンフィクションの著書を多数持つ文筆家でもある寺尾紗穂さんの『彗星の孤独』より厳選のエッセイを公開。遠くて遠い父、娘たちのぬくもり、過ぎ去る風景――ひとりの人間として、母として、女と...もっと読む

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コメント

namy1230 @asuka_tamura 好きな音楽を紹介し合うの、楽しいですね♪ 寺尾紗穂さんは文筆家もされていて、文章も素敵なのです。エッセイの一部、貼っておきます〜 良かったら^^ https://t.co/Izk5v6s4Lm 5ヶ月前 replyretweetfavorite

raixxx_3am @f_urigoe 梅田だと阪神百貨店のモロゾフカフェがモロゾフだから間違いなく美味しいし客層がマダムなので落ち着いてて和みます。 あと、わたしこのエッセイがすごく好きです。 https://t.co/tiBzDVyo8c 約1年前 replyretweetfavorite

yukinkos なぜいないのかと思う。 1年以上前 replyretweetfavorite

chatsworth_01 心に染み入る言葉で溢れる寺尾紗穂の半生を振り返るエッセイが一部公開されましたー!! 1年以上前 replyretweetfavorite