感情を排除した判断は現実的か

ビジネスシーンでの例題が考えさせられると好評の新刊『生き残れるビジネスマンになる21の思考実験』からの短期集中連載。今回は、正しい判断を鈍らせる感情の扱い方について考えます。

「感情は完全無視」が正解?

 「ビュリダンのロバ」という有名な思考実験があります。

 お腹を空かせたロバの前には、質も量も同じ2つの干草の塊が、ロバから同じだけ離れた場所に置かれていました。そのロバは、2つのどちらを食べるか選ぶことができず、餓死してしまったといいます。ロバはなぜ選ぶことができなかったのかを考える例題です。

 現実に人間が似た状況に置かれたとしても、「どっちでもいいや、じゃあこっち」と適当に選ぶことでしょう。しかし論理的には、2つの干草にまったく差がありません。「ビュリダンのロバ」は、論理や理性ばかりを追求していると、まったく何も決まらない状態をロバにたとえた思考実験と言われています。

 つまり、何かを判断する際、感情や気分を完全に無視すれば正しい結論が導き出されるかというと、そうとも限らないというわけです。

思考実験10 やっかいな新提案

「部長! やりましたよ!」

「ついにか! よし、これでフィルターは完成だな! 世界最強の家庭用水質浄化システム『ウォーターヒーラー』をわが社が発売できるのだ!」

 新製品開発部の部長である今西は興奮を隠せませんでした。

『ウォーターヒーラー』は、今西が企画し、自信をもって進めてきたプロジェクトです。その特徴は、いままでの浄水器と比べて飛躍的に高性能な水質浄化力を備え、そのうえ小型な点にあります。家庭用のコーヒーメーカーくらいのサイズの浄水器があと少しで完成するのです。フィルターの交換は3カ月に1度と少なく、水に強い素材のため本体の清掃は年1回で十分という手間いらずで、手入れをする人の立場に立った製品です。

「原価を考えると、交換用のフィルター1枚をつけて定価4万円程度でしょうか」

「うん。そうだな。まぁ、こんな素晴らしい製品なのだから5万円でも10万円でも飛ぶように売れるだろう! これで3年の努力が報われるというものだ!」

 製品完成に向けたラストスパートが始まります。浄化した水の最終検査や、販売戦略会議、製品のデザインやカラーバリエーションの決定など、もう少しで販売が始まることを見越して社内全体が活動をしていました。発売日も決定し、関係各社への連絡も済ませ、今西は3カ月後の発売日をいまかいまかと待っていたのです。

 そんなとき、部下の1人である清田が「大事な話がある」と言って、今西を小会議室に連れて行きました。

「部長、すごいことがわかりました! 研究職の私の兄が、自分の研究の中でたまたま発見したのですが……」

 清田は3枚の紙を今西の前にずらっと並べ、新素材の説明を始めました。

「つまり、この素材をフィルターに使えば、『ウォーターヒーラー』のフィルターよりも浄化力が高く、原価を半値以下に抑えられ、蛇口に取りつけるタイプでも問題ないくらい小型の製品になるんですよ! しかも、完成形は見えていますから、発売時期も延期せずにすみます!」

「……」

 それを聞き、今西は黙り込んでしまいました。

「あれ? 部長、どうしたんですか?」

「清田、われわれの3年の努力はどうなる? 関係各社への仕事の発注はどうなる? いま、新製品のためのCMの制作班もできたところだ。そして、社内は『ウォーターヒーラー』の発売に向けて活気づいている。それをどうしてくれるんだ? その素材は使わない。わが社を思うなら他社にも言わないことだ。まあ、『ウォーターヒーラー』を十分に販売した後、その素材も検討してやろう」

「いや、ですから、CM班は一度解散して、製品のデザインの発注もちょっと待っていただいて、宣伝もこれからなんですから、まだ間に合いますよ⁉ 販売戦略に多額の費用をかける前に作り直しましょうよ!」

「だめだ。わが社はこのまま『ウォーターヒーラー』を発売する! わが社の現状を見れば、それが正しいとわかるはずだ。清田、きょうの話はなかったことにしてくれ」

 そう言うと、今西は忙しそうに部屋を出ていきました。

 清田はテーブルの上にある3枚の資料に目を落としながら思いました。

「なぜだろう? 『ウォーターヒーラー』のフィルターより、性能もいいし、原価も安いし、小型だし、交換頻度も少ないし……。どう考えてもいまから新素材のほうに切り替えたほうが利益も大きいはずなのに……。『ウォーターヒーラー』を発売する意味がわからない……」

 清田が提案した新素材で作られたフィルターは、たしかに清田の言うとおり、性能も、費用も、大きさも、耐久性も、寿命も、すべてにおいて『ウォーターヒーラー』のフィルターよりも優れていると、今西もわかっているとします。

 なぜ、今西は『ウォーターヒーラー』の発売にこだわるのでしょうか。

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この連載について

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生き残れるビジネスマンになる21の思考実験

北村良子

変化の著しい昨今、ごく普通のビジネスマンも前例のない難しい状況での決断を迫られがちです。正解なき問題にいかに立ち向かうか。その判断力を養うのに最適なのが、あのサンデル教授の「ハーバード白熱教室」で有名な「思考実験」です。この連載では、...もっと読む

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