結婚が決まったとたん、会いたくなる男と会いに来る男

小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴るこの連載。今回は、森さんが30歳になる直前に味わった「女の焦燥感」にまつわるエピソードです。当時、仕事も私生活も中途半端だった森さんが、以前片思いしていた男性に連絡をとってみると……。

自分に足りない部分を補うように、人は人を好きになる。自尊心を他人で満たそうとすることを恋愛とはき違えるのは、若さの特権かもしれないけれど。

バンドマンに憧れはじめた10代前半から、バンドマンに入れあげた20代後半まで、私の恋愛は間違いだらけだった。でも、なりふりかまわず好きでいたという自負もある。なりふりかまわず好きだったから、占い師を渡り歩く占いジプシーもしたし(功を奏してアシスタントに昇格)、神社仏閣もそつなく参拝したし、おまじないもした。でも、男心は遠くに罠をしかけてもなかなか引っかからないのだ。もっと足元をねらわなければ。

「私、結婚が決まったの」

30歳になる直前だろうか、私は突如焦り出したのだ。仕事も私生活も中途半端、ものすごく好きだった人もすでに過去の人、現在、彼はおろか好きな人もいない。『29歳のクリスマス』なんて昔のテレビドラマにもあるように、女の29歳と30歳の間には濁流のような川が流れている。橋はかかってないし、ボートも浮輪も用意されていない。どうにかこうにか、溺れないように泳ぐしかない川だ。30歳を越えた女性なら皆、妙な焦燥感を経験済みではないだろうか。

50歳がうっすらと見えてきた今なら、好きな人がいない状態(夫は大好きだけどね)というのは淡々として平和で心地いいのだが、エネルギーが有り余っているアラサーなんて、片思いでもセフレでもいいから誰かいないとイライラしてやっていられない。

そんなわけで、私は過去猛烈に好きだった人、Aに連絡を取ってみたのだ。Aとの関係は私の圧倒的な片思いで、遠回しにフラれている。なんとなく疎遠になって、連絡しづらくなって、数年が経過、というよくあるパターンだ。久しぶりに連絡するとなれば、ネタは必須である。これもまたテレビドラマや映画や、おそらくそのへんの誰もが使いまくって腐っていそうなセリフ、「私、結婚が決まったの」というヤツが役に立つ。「だから久々に会わない?」と続けたり、「独身最後なのよ、お祝いして」とあからさまに誘う流れもアリだ。嫌だなー、マジで腐敗臭が漂ってるよ、と我ながらあきれつつ、Aにメールしたのだ。

私の場合、「私、結婚が決まったの」に留めた。一番スマートだと思ったからだ(メールする時点でスマートではない)。Aは贔屓目に見なくてもモテまくっていたので、こんな陳腐な誘い文句には引っかからない、スルーするか、「おめでとう」の一言で終わりだとあきらめていた。が、即座に「会わない?」と返信が来たのだ。え、なんだよA、おまえもそのへんの輩「独身最後の女を後腐れなくいただいてしまおう」って魂胆の男かよ、文字通り腐ってる? それとも「俺様との思い出を作って進ぜよう」とか、上から目線? どっちにしても安いよと、がっかりした。

がっかりした以上に、私は異様に舞い上がった。やった、Aと会える。頭の中で再会のファンファーレが響く。安い女とは私のことだ。付き合っている彼もおらず、独身街道まっしぐらの私には、結婚の予定など毛頭ない。男の影もない。結婚を控えた危うい女を装うにはどうしたらいいのだろう、婚約指輪を用意するべきか、ローンで? と熟考する私のほうが危うい。新しい苗字はどうしようかな、肝心の夫(架空)の設定は? と悩みを拡大させていたら、あっという間にAとの再会の日がやってきた。

青山のオシャレなバーで

Aが指定したのが、これまた青山のバーときたもんだ。しかも常連っぽい。常連の店に連れていかれるというのに、女は弱いのだ。そして居酒屋やカラオケボックスじゃなくてよかった! と私は自分で自分に喝采を送った。とりあえず私は、Aにとって底辺ではないのだ。居酒屋やカラオケボックスを想定しているあたり、自分で自分を底辺に陥れていることに私は気づいていなかった。

「結婚するの?」

開口一番、Aは言った。1杯くらい落ち着いて飲ませてよ、と思いつつ、冷静を装い、

「ああ、うん」

とこたえて、すぐさま私は、

「あれ、嘘」

と言った。あきらかに戸惑うAをよそに、

「女には、いろいろあるのよ」

と杯を傾けた。すいすいと飲み(弱いくせに)、すかさず2杯目を注文する。

そうか、とAもグラスをあけ(かなり強いのだ)、メニューをめくった。

様々なバリエーションで膨大なシナリオを作成し暗記してきた私は、なぜアドリブでこたえたのだろう。女の本能がそうさせたのか。何が、「女には、いろいろあるのよ」だ。確かにいろいろあるけれど、しょーもないイロエロだ。

私はただ、Aに会いたかった。Aと一夜を共にしたかった。30歳になる前に、20代のけじめをつけておきたかった。自分に足りないものを自分で補えるように、30代を胸を張って生きられるように、猛烈に好きだった人に少しでも認められたかった。

私は彼に見下されている

Aのメニューをめくる手に、落胆が漂っていた。そうか、この人は私と寝たかったのかもしれない、あわよくばやれるとほくそ笑んでやってきたのかもしれない、そのへんの輩と同じだったのかよ。でもただやるのでは私が気の毒だから、行きつけのオシャレなバーで私をいい気分にさせてくれたのだ。

それを私が嘘と白状したから、ここで寝てしまったら「付き合ってくれ」と迫られそうだと尻込みしたのか。寝るつもりでやってきたのに寝られないとわかって、落胆したのだ。Aの顔つきは依然としてにこやかだったが、わずかな仕草で感情を読み取れてしまう、私のAに対する気持ちはちっとも色褪せていない事実を、私は呪った。

いずれにしても、私は彼に見下されている。それでよかった。不条理だとしてもAに寝たいと思われたのだし、Aに優越感を抱かせたのだ。Aをいい気分にさせるのなら、私はいつだって見下されるし、下にいてかまわない。セックスだってだいたい女が下だし、とまたしょーもないことを私は思い、弱いくせにどんどん飲んだ。

支払いはすべてAが済ませた。

「居酒屋でもカラオケボックスでも、よかったんだよ」

バーを出てすぐ、アドリブで私は言った。余計な一言だった、と唇を噛んだのだがAは、

「カラオケ行く?」

と子供みたいに笑って提案した。Aはとても歌が上手い。片や私は、音痴だ。

それでも、子供にくっついていく犬みたいに私はくっついていった。もうセックスなどどうでもよくなっていた。ただAと長い時間、一緒にいたかった。

彼が歌った曲は……
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アラフィフ作家の迷走性活

森美樹

小説家の森美樹さんは、取材や趣味の場で、性のプロフェッショナルや性への探究心が強い方からさまざまな話を聞くのだそう。森さん自身も20代の頃から性的な縁に事欠かない人生でした。47歳の今、自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する...もっと読む

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