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役所も消防も機能麻痺
何より、日本の危機管理のあり方が大きく問われました。当時の村山富市首相は、朝から始まっていた国会審議中にメモを渡されて、初めて事の重大さを認識したとされています。当時、自衛隊は、都道府県知事や市長から応援要請がない限り、出動ができない制約がありました。
神戸市役所は途中階から崩れ、崩落階にあった下水道部局など機能は麻痺。さらに最悪だったのは、消防も被災してしまったこと。消防署は消防車が出入りする1階の駐車場に壁が少なく、もともと耐震的に弱点のある建物です。柱が根元から壊れたり、液状化で傾いたりして、複数の消防署の機能が停止しました。道路は大渋滞で、消防車も救急車も走れませんでした。
神戸市消防局には約1300人の職員(人口1000人に1人)がいましたが、震災発生時に勤務中だったのは300人ほどでした。早朝だったことに加えて電話も不通の地域が多かったため、全職員の半数が参集したのは2時間後。自発的に参集した職員を含めて9割が集まったのは5時間後だったそうです。
管制室には通常の10倍以上の119番通報が殺到しました。ファクスが倒れ、OA機器が転落した部屋の中で、十数人の職員が鳴り止まぬ通報に対応し続けました。各消防署にも火災や救助を求める住民が直接、駆け込んできていました。現場は死にものぐるいで消火や救助に駆け回りました。しかし、埋設された水道管は破損。消火栓はほとんど使えません。川やプールから何とか水を引いて、初期消火に当たるしかありませんでした。
他県からの応援は、約450の消防本部から最大で506隊、2400人余りが駆け付けました。水の確保のため、最後は海水を利用することになります。海岸部から市街地の火災現場までは40〜50隊分のホースが必要でした。しかし、ホースの接合部の仕様が地域によって違い、なかなかつなぐことができなかったと聞いています。
ヘリコプターを使った空からの消火も検討されましたが、自衛隊も含めて最終的に実施できませんでした。放水の衝撃で家屋の倒壊を助長したり、がれきの下の被災者に危険が生じたりすることなどが理由に挙げられました。
映画『シン・ゴジラ』で、都心に上陸したゴジラに自衛隊がヘリコプターで攻撃を仕掛けようとした際、逃げ遅れた住民がいると分かって総理大臣が攻撃を中止するシーンと重なります。
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