電書テロリストの誘いを受けた官能系老作家・南雲初道の戸惑い

年下の作家・漣野から電書テロリストの誘いを受けた南雲はこれまでの人生を振り返る。作家志望の弟は大学進学を諦めて家業の小料理屋を継ぎ、南雲は編集者を経て作家となった。弟夫婦と三人、小料理屋の二階で同居する平穏な生活も、南雲の作家業が行き詰ったことで危機に瀕していた。

文学少女が編集者として一人立ちしていく姿を追いながら、変貌する出版界の明日を占うお仕事小説。

◆欲望文士

 川崎に向かう電車は人と人が密着するほどだった。南雲(なぐも)は椅子に座れず、つり革を握っている。普段電車に乗らないので、通勤時間はこれほど混んでいるのかと驚いた。

 車窓からは薄く夜景が見える。東京から延々と連なる都会の景色。薄闇の中、無数の光が現れては流れてゆく。南雲はその光景をながめながら、過去へと記憶を遡らせる。

 南雲初道(はつみち)は、川崎にある小料理屋の息子として生まれた。駅から徒歩で二十分以上離れた場所。一階が店で二階が住居。不便な立地だが客はよく訪れた。父の腕がよかったからだ。母の明るさも一役買っていた。

 南雲が誕生した三年後、弟の次道(つぐみち)が生まれる。二人はよく喧嘩した。男同士なので殴り合いに発展することが多かった。そのたびに二人は、父に拳骨を食らった。

 兄が高校に入った年、弟は中学生になった。弟は野球部でボールを追いかける傍ら、小説を書いた。南雲はもっぱら読む方専門で、中学、高校と図書部に所属していた。二人は小説が好きだった。しかし小説は喧嘩の種でもあった。

「次道、小説を書くのなら、もっと数を読まないといけないぞ」

「読む暇なんかねえよ。俺は書きたいことがあるんだよ」

 一階の店の中、夕方の仕込みをしている父の前で、兄弟は喧嘩する。

「人の言うことを聞かない奴に、いい小説は書けないぞ」

「人の言うことばかり聞く奴も、いい小説は書けないだろうが」

 二人は、互いによいと思う小説家の名前を挙げる。しかし弟は、南雲の十分の一も言えない。口で負けると手が出た。そして殴り合いに発展した。

「馬鹿野郎、静かにしやがれ」

 兄弟の喧嘩は、最後は父の鉄拳で終わる。南雲家の恒例行事だった。

 数年経ち、高校の成績のよかった南雲は大学に進んだ。東京の大学なら実家から通える。そのため下宿をせず電車通学を選んだ。車内で過ごす長い時間を、南雲は読書に充てた。

 高校に上がった弟は、中学時代と変わらず小説を書き続けた。野球部で遅くまで練習したあと、原稿用紙に向かう日々を送った。

「次道の成績が悪い。このままでは進学は無理そうだ」

 ある日の夜、一階に呼び出された南雲は、父から相談を受けた。横には母が座っている。灯りは落とされ、厨房だけ電気が点いていた。

 両親は大学に通ったことがない。この家で唯一南雲だけが、大学というものを体験している。

「ねえ、初道、なんとかならないかしら」

 弟を特に可愛がっている母が、心配そうに訴える。

 あいつの成績が悪いのは当然だ。南雲は弟の生活を振り返る。
 部活と執筆。弟の生活はそれだけで終わっている。どちらかを諦めなければ、受験勉強が入り込む余地はない。

 自分の意見を両親に伝え、最終的な判断は二人に任せた。

 —一度だけ浪人を許す。それで大学に入れなければ、料理人としての修行に出す。

 数日後、父は弟に告げた。

 適切な判断だと南雲は思った。一年は棒に振るが、そのあいだ受験勉強に専念できる。弟も、父の采配に納得したようだった。

 高校三年の年、弟は受験に失敗した。翌年、弟は懸命に勉強し、南雲は就職活動をおこなった。

 合格発表は弟とともに見に行った。大学の入り口。木枠とベニヤ板で作った掲示板。そこに貼り出された合格者一覧の中に、次道の名はなかった。その年、南雲は出版社に就職した。弟は京都の店に修行に出された。

 長男が家業を継ぎ、次男が外に出るという道もあっただろう。しかし兄と弟は、世間とは逆の道をたどりだす。

 南雲はサラリーマンとして、定年まで同じ会社に勤めるつもりでいた。しかし五年で会社は倒産する。

 南雲の進む先に暗雲が垂れ込め始める。弟は愚直に修行を続けた。二人のあいだでやり取りはなかった。手紙を送り合うこともなく、それぞれの道を歩んだ。

 転職活動をして、南雲は次の出版社に入る。前よりも小さいところだった。

 四年後、弟が女性を連れて実家に戻ってきた。弟は結婚して父の店を継ぐ。三年後、安心したのか父が死んだ。翌年、あとを追うように母も亡くなる。一階が小料理屋の家は、南雲と弟夫婦の三人で住むことになった。

 転職から十年目、三十七歳の時、再び会社が倒産する。

 どうやら自分は、そういう道を歩んでいるらしい。南雲はおぼろげながら、自身の人生を理解し始めた。

 しかし、南雲は悲嘆しなかった。これまで読んだ膨大な本が、人はそれぞれの人生を歩むということを教えてくれたからだ。

 神保町、裏路地、四階建てのすすけたビル。

 転職するたびに給料が安く、規模の小さな会社に移っている。三度目の就職先は零細出版社で官能小説雑誌を主力に扱っているところだった。またその会社では、成人向けの文庫レーベルも展開していた。

 会社の名前は桃花(とうか)書房といった。社長は南雲よりも若く、過去に一度出版社を作り倒産させている。社員は、社長を含めて三人だった。

 桃花書房では、ちょうど前任者が姿を消して困っていた。南雲は、雑誌を一人で編集するという条件で職を得た。

「次道。今度は小説の雑誌を出している出版社に入った」

「ふーん、どんな雑誌なんだい」

 小説と聞いて、弟の目の色が変わる。

 同じ屋根の下に住む者として、新しい職場のことぐらいは報告すべきだ。周囲に人がいないことを確認して、一階の店で雑誌を見せる。

 弟はしばらくページをめくったあと返してきた。

「好恵(よしえ)には黙っていた方がいいかもな」

「そうだな。人に自慢できる本ではないだろうからな」

 南雲は自分の仕事を恥ずべきこととは思っていない。しかし人によっては、性的な創作物を一段下に見たり、露骨に排斥しようとしたりする。
 その日はそれでお開きになった。

 隠し通せると思っていたが、一ヶ月ほどで弟の妻にばれた。なにを考えたのか分からないが、社長が家に雑誌を送ってきたのだ。桃花書房は、社長自身が宛名を書くような零細企業だった。社長としては従業員に対するサービスのつもりで送ったのだろう。

 受け取った弟の妻が、見せて欲しいと言ったので、しぶしぶ見せた。彼女がどう感じるか心配したが、笑って流してくれた。

 雑誌は、ひと月に一度出る。主に小さな個人書店で販売される。本屋でも一番奥の棚に並ぶ本だ。店によっては子供が入れないように、布で仕切られた場所に置かれた。

 小説家に原稿を催促する。効果のほどが不明な、運気アップや恋愛グッズの広告を取ってくる。読者投稿欄や、どこに需要があるのか分からないコラムを書いてもらう。前任者が残した人脈をもとに、ページを埋めて一冊の本にまとめていく。

 メインコンテンツを手掛ける小説家、表紙や挿絵を描くイラストレーター、誌面をバラエティ富んだものにするコラムニスト。関係者は関東在住者が多かった。小説家たちのもとには、原稿の催促のためによく通った。

 雑誌を一人で作るのは骨が折れた。人手がまったく足りていなかった。アルバイトのアシスタントが欲しいと社長に頼む。しかし、予算がないの一点張りで聞き入られることはなかった。

 昼ぐらいに出社して終電間際まで仕事をする。日によっては会社に泊まり込み、印刷会社とのあいだをバイクで行き来する。

 入社五年目に、担当していた雑誌が潰れた。平成不況の波が、成人向け雑誌も飲み込んだ。

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#電書ハック

柳井政和

小説が好きで出版社に就職した春日枝折だったが、配属されたのは電子書籍編集部。 紙の本から戦力外通告を受けた老作家、ネット民には刺さる準引きこもり作家、紙の本には目もくれないデジタル電子書店員たちとの出会いに戸惑う枝折。 やがて作家たち...もっと読む

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