美をさがし求めるのが生業である。
こんなうつくしいものを見つけた。
こやまこいこが育児中心の生活のなかからつかんだ、何にも代えがたい温かみ。
商才はからっきしダメだった
これはずっと「何かを描きたい!」と思っていたひとりの女性が、その夢をひとつのかたちにする話。
いまはペンネームで「こやまこいこ」と名乗る彼女は、小さいころから絵が好きで、自分で手を動かしてものを生み出すことが得意だった。
それが高じて、短大では染織テキスタイルデザインを学ぶことに。
卒業後は雑貨をつくって委託販売するなどしていたけれど、商才はからっきしだったよう。
値段を材料費と同じくらいに設定したりしていたので、なかなか採算がとれない。それですぐに、つくり続けることが叶わなくなった。
代わりに、イラストを描く仕事が徐々に増えていった。
児童書を出している出版社などにイラストファイルを持ち込み見てもらうことから始めて、最初は単発のイラストや挿絵を、そのうちに絵本を一冊丸ごと任されるようになった。
絵を描くこと、それ自体がとにかく好きだった身にとって、お話に合わせて絵を描き、それが本になるという仕事は楽しくてしかたなかった。喜んで、依頼されたことに取り組んだ。
でも。続けていると、すこしつらい面も生じてきた。
絵本では、読者たる子どもたちにわかりやすく見てもらえる絵がいい。編集側からそう教えてもらい、その通りだと納得した。そうなると求められる絵が、自分の描きたい絵とはすこしずつ違ったりすることが出てくる。絵本の仕事はおもしろかっただけに、それぞれの仕事に合わせて自分の絵を、少々変えすぎてしまう傾向があった。
描くのは楽しい。けれど、自分の気持ちをどこか押し殺しながら描くのはちょっと苦しい。こういうことでいいのかなと、疑問が湧いた。
ツイッターに漫画をアップしはじめた理由
それで、もっとみずから動こうと決めた。ツイッターに漫画をアップしていくことをはじめたのだ。
それ自体は仕事じゃないので、もちろんそこでは好きなように描けばいい。やってみてすぐ、ああこれでいいんだと、心から思えた。
なぜ漫画だったのか。絵本や挿絵を描くイラストレーターとして仕事を重ねるうちに声をかけてもらい、このころすでに『レタスクラブ』『インテリアショップ スコープweb』で、四コマ漫画「スキップするように生きていきたい」の連載もしていたのだった。
それでも、まだまだ漫画を描くということが身についていないと自分では感じていた。それで、
「とにかく慣れたかったんです。ペンを持ち、紙にサラサラと漫画を描いていくことに」
との思いが強かったのだと、本人は言う。
「それで、毎日必ず1ページ、漫画をツイッターにアップしようと決めました。やりたいことが存分にできて楽しかったので、続けることはまったく苦にはなりませんでした。
描き続けて1年半に差しかかるところで体調を崩してしまったので、そのときはお休みして、その後はちょっとペースを落としましたが、いまに至るまで続けています。
なぜそこまで? と聞かれると答えに困りますけれど、トレーニングジム通いに夢中な人は、一度でもサボって身体を動かさなかったら、気持ち悪くてしょうがないと言いますよね。それと同じなんでしょう。
やめたところで支障はないけれど、もう習慣になってしまっています。
そもそも描くこと自体が好きですし、日常でいいと思ったことを紙に残せるのは精神的にもすごくいい作用がある。
あと、漫画の描き方にかんする発見がたくさんあるのもおもしろいんです。セリフひとつ変えることで、全体の印象がガラリと変わったりすることに、いちいち自分で驚いてます」
こやまさんがそう話す通り、漫画のネタはご自身の日常、とくに家族についてのことに絞ってある。
ふつうの毎日こそ、すごいことの連続
こやまさんの家族は夫(『宇宙兄弟』の作者・小山宙哉さん)とふたりの娘(姉は中学生・ツイッター連載開始時は小学生、妹は小学生・ツイッター連載開始時は保育園児)の4人。子育てに勤しむ日々のなかで起こる出来事や感情を、ていねいに掬い上げている。
「やっぱり私は日常が好きなので。旅行に行ったりしてあれこれ観て驚くのもいいけれど、ふつうの毎日こそ、すごいことの連続だと強く思います。
子どもができてからはとくにそう感じますね。子育てって、これまでに経験したことがないほどひとりの人間と向き合うことなんだって気づかされました。行動も感情も、すべて全力でぶつけ合うことなんですよね。ほとんど一心同体みたいでありながら、自分も子どももひとりの人間同士でもあって」
本人としては、家族と過ごしていて日々巻き起こることを、ただ描き留めているだけであるという。それにしても、ふつうならやり過ごしてしまいそうなささやかな言葉や行動を見逃さず、よくぞ漫画に落とし込んでいると思う。
たとえば、妹がたこやきを目の前にして、こう疑問を呈する。
「なんでかつおぶしは あついところだと うろうろしてるの?」
たこやきの上にかかったかつおぶしが、湯気で揺れるさまを見てのひとことだ。
または、薄暗い夕方にブランコを漕ぐ妹が、月を見上げて呼びかける。
「おだんごさまー きなこつけますかー」
彼女には、おつきさまではなく、おだんごに見えているのだ。
そうしたささやかなことが、作品のなかには満載。よほど家族を注意深く観察している?