努力は「臨界点」に達してこそ実る
「努力は必ず実る」と説く書物は多いものです。
もちろん私も、そうであってほしいと思います。
ただ、努力が実を結ぶには「臨界点」とも呼ぶべきものが存在する気がしています。
たとえば隕石にまつわる、次のようなエピソードがあります。
隕石に摂氏800度の熱を加えると、そこから水が出てくるのだそうです。 ただし、750度の熱を加えても、水は出ないのだとか(これは学生時代に本で読んだ知識なので、現在は異なった説が出ているかもしれません)。
この隕石の事実は、大きな示唆に富んでいます。 「800度」という「臨界点」に達しない限り、隕石に決定的な変化は現れないのです。
「6時間」かけて見つからなくても、「7時間」目には見えてくる
じつは将棋という勝負の世界でも、まったく同じことがいえます。
「6時間」考えていい手が見つからなくても、「7時間」考えるといい手が見つかることがあります。
つまりこのとき、「7時間」というのが、最善手を見つけるのに欠かせない間の長さであり、私にとっての「臨界点」なのです。ほんの少しでも「臨界点」に満たないと、最善手は見つからないということがありえるのです。
たとえば、6時間考えたところで「もう努力は実らないだろう」と諦めてしまっては、それまでのがんばりが水の泡。費やした時間もエネルギーもムダになってしまいます。
思い起こせば1968年。大山名人に挑んだ「第7期十段戦」の第4局で、私は一手に7時間をかけました。しかし、そのおかげですばらしい最善手を見つけることができ、それが原動力になって十段になれたという経験があります。
もちろん、このような「長考」のおかげで、終盤では持ち時間が少なくなり、秒読みに追い込まれることもあり、「痛しかゆし」という側面はあります。
しかし必要に迫られると、人は能力を伸ばせるもの。 「長考」をしたいがあまりに、早指しにも長けるようになり、やがては「一分将棋の達人」と褒めていただくまでになりました。
つまり「臨界点」に至るまで努力を重ねるには、自分で環境や条件を整えたり、調節したりと、まったく違う方面での努力が必要になることがあるのです。