わざわざの実店舗、冬の風景。とても小さな店なのです。
対外評価初体験は小学生の通信簿
小学生の頃の通信簿は、オール3に近くてよくも悪くも普通だったのだけども、生活態度の評価の「基本的な生活習慣」と「協調性」の二つの項目がほぼ6年間を通して3段階評価の最低ランク「努力したい」で、普通になったことさえなかった。わたしと言えば、相当なおてんばで文字通り野山を駆けずり回って遊び、何かに夢中になるとそれしかできないような人間。先生の言うことさえも間違っていると思えば、一切言うことを聞かなかったので、成績がよくなるはずもない子どもであった。
今思えば、成績表というものはその後の人生を決めてしまうほどのものでもない。だけど、小学生になって初めて家族から離れ、唯一と言ってもいいような外部と接する場所から評価を下されるというのは、小学生にとっては絶対的なものに感じるだろう。小学校という場所は、良くも悪くも私たちが他者の評価を気にして生きることを静かに受け入れていくことに慣れるための、ファーストステップだったのかもしれない。
わたしがこの呪縛に今でも縛られていることは言うまでもない。相当の努力をしないと生活を規則正しく送ることができないし、人とうまく接することができないということを刷り込まれてしまっている。宿題をやっていったことがないので、未だに納期もスケジュールも守れない。もしかしたらできるのかもしれないけど、できないと思い込んでいる節はある。だって6年間、「努力したい」だもの。たぶん無理。向いていないのだ。
他者からの評価で成り立ってきた私たち
小学校からスタートして、私たちは様々な評価を下されて生きてきた。試験、スポーツテスト、大学受験、ピアノの発表会、運動会、就職活動、昇進、給料の査定など。何歳になってもどこに行っても、「あれがよい」「これは悪い」と誰かが作った何かの評価軸で自分が査定されて、点数が付いていく。
SNS時代になって、私たちはインターネット上で知らない誰かから勝手に「いいね」の評価を下され縛られるようになった。フォロワー数、いいね、PV、いつも見知らぬ誰かの足跡で自分の評価が決まっていく。見知らぬ誰かの評価軸は自分をよく知らない人間からの評価なのでどことなく適当で、風評に流されていることも多く、事実を誤認して拡散されることもあるだろう。評価する人の実態もわからない。誰ともわからないものに自分の人生を侵されることに慣れていって本当にいいのだろうか。
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