『羊をめぐる冒険』から6年後に書かれた本作
『ダンス・ダンス・ダンス』(講談社文庫)は、『羊をめぐる冒険』(講談社文庫)の続編として読まれることが多い。設定やキーワードに共通性があるからだ。しかし主題から見ると連作としての継続性は意外に少ない。『羊をめぐる冒険』からこの小説が書かれるまでには6年近い年月があり、この間に主要長編や短編がいくつか挟まれている。
1982年 「群像」8月号に『羊をめぐる冒険』を発表
1982年 雑誌「トレフル」(平凡社)6月号から11月号に『図書館奇譚』を連載(2005年に『ふしぎな図書館』として改題再版)
1982年10月 『羊をめぐる冒険』単行本刊行
1983年 「中央公論」1月号に、後の『ノルウェイの森』に繋がる短編『蛍』を発表(短編集『螢・納屋を焼く・その他の短編』に収録)
1985年6月 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(新潮社)
1985年11月 『羊男のクリスマス』(講談社)
1986年 「新潮」1月号に後の『ねじまき鳥クロニクル』に繋がる短編「ねじまき鳥と火曜日の女たち」を発表(短編集『パン屋再襲撃』(文春文庫)に収録)
1987年9月 『ノルウェイの森』(講談社)
1988年10月 『ダンス・ダンス・ダンス』(講談社)
作品の系列からいくつか指摘ができる。まず、通称「鼠三部作」の各リメーク的な作品の後に、だめ押しのように『ダンス・ダンス・ダンス』が現れることだ。長編として『羊をめぐる冒険』に後続するのは『ノルウェイの森』(講談社文庫)だが、この作品はテーマ的には『風の歌を聴け』(講談社文庫)の文体を変えたリメークが基点になっている。ただし文体が異なることや「鼠」や「羊男」といったキーワード上の共通性がないことから連作とは見なされない。同様にテーマの関連性と、パラレルワールドという形式性から、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(新潮文庫)は『1973年のピンボール』(講談社文庫)のリメークに近い。さらに、92年に連載が始まった『ねじまき鳥クロニクル』(新潮文庫)は、「妻」の失踪とアジア近代史という道具立てで『羊をめぐる冒険』のリメークに近いが、その原型の短編「ねじまき鳥と火曜日の女たち」は86年に発表されている。
この6年間に村上春樹は短編の技量も向上し、『ダンス・ダンス・ダンス』の細部にその成果が発揮されている。が、裏目にも出ている。この作品は形式上は長編小説だが、叙述は短編小説の緩やかな合成という印象が強く、一つの濃密な物語は形成されていない。長編ではあっても短編小説の組み合わせとして読める特性は、村上春樹にとって初のワープロ作品という影響もあるだろう。ワープロなら執筆時点でまとまったブロックの文章の切り貼りや合成など編集作業は格段に向上するからだ。
作品系列からわかるもう一点は、村上春樹が『羊をめぐる冒険』で示した「羊男」というキャラクターに愛着を持っていることだ。『村上春樹全作品 1979~1989〈2〉 羊をめぐる冒険』(講談社)に添付された冊子の「自作を語る」でも述べている。『ノルウェイの森』と『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を書き終えた時点のことだ。
でもその二つを書き終えた時点で、僕はもう一度あの三部作の世界に戻ってみたくなったのだ。僕が『ダンス・ダンス・ダンス』という小説で本当に書きたかったのは、あの羊男のことだった。ある意味では、羊男はずっと僕の心の中に住んでいた。僕は『羊をめぐる冒険』を書き終えたあとでもよく羊男のことを考えた。
作者の思いからすると、『ダンス・ダンス・ダンス』は、「羊男」とは何かという想念に引きずられて書いたものであり、執筆もよどみなく進んだという。素朴な述懐だろう。そのためか、三部作のようなパズル性も極力抑えられている。
「それは僕ひとりのために特別にこしらえられた場所」
物語は当然のように、羊男の所在である「いるかホテル」への思いから始まる。主人公は、よく「いるかホテル」の夢を見るという。その理由を主人公は、『羊をめぐる冒険』で途中まで一緒に北海道旅行をした高級娼婦が自分を求めているからだと感じる。ここで村上春樹に特有の転換が加えられる。『羊をめぐる冒険』では青春時代に喪失した女性の暗喩であった高級娼婦が、この作品では実体的にキキと名付けられ、かつての女スパイの相貌が除去される。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。