※牧村さんに聞いてみたいことやこの連載に対する感想がある方は、応募フォームを通じてお送りください! HN・匿名でもかまいません。
年収が400万円台になった。
めちゃくちゃ誇らしい。とりたてて多いとも少ないとも言えない、2018年の日本を31歳女性として生きる人の平均くらいの収入なんだろうけど、どう思われてもいい。どう思われてもわたしは、めちゃくちゃ、誇らしい。エッセイの書き出しにするくらい誇らしい。
来年でタレントとして10周年、文筆家として6周年になる。 時給400円換算の仕事から始めた。
国民健康保険料が払えなくて病院にかかれなかったり、応援してくれる人を紹介してあげるよと言われてお金持ちそうなおじいさんたちの酒席に呼ばれて「わたしはレズビアンですし愛人業とかは本当に無理です」と言ったら「じゃあ次は女社長を探してきてあげるね」というオチをつけられて笑うしかなかったり、自分史上最高におしゃれしたつもりでテレビカメラの前に立ったらこんなナレーションを入れられたりした。「ボロボロの靴、ひっつめただけの髪……貧乏女子大生、ミス日本に挑む!」。自分としては、靴の塗装がハゲてるのなんか誰も見ないと思ったし、ひっつめと言われた髪型については、ポニーテールのつもりだった。
自分以外みんな、きれいだった。
自分以外みんなが、正しく見えた。
自分以外みんなには、帰る場所があるんだと思えた。
自分以外みんなずるい、という思いが、わたしをいっそう、みじめにした。
みじめだったので気づかなかったが、世の中わりと、みんなが思っているらしい。「自分以外みんなずるい」って。
どうせ金持ちの家に生まれたんでしょ。
どうせ愛されて育ったんでしょ。
どうせイケメンに生まれたんでしょ。
どうせ美人に生まれたんでしょ。
どうせ帰国子女には英語できない人の気持ちなんてわからない。
どうせノンケの人たちにはLGBTの気持ちなんてわからない。
どうせ男は恵まれてるから女のつらさなんてわからない。
どうせ女は守ってもらえるから男のつらさなんてわからない。
どうせ、どうせ、どうせ、どうせ……
誰かが「どうせ」と言うのが聞こえるようになってきたのは、自分が「どうせ」と言うのを、極力、やめた頃のことだった(※完全にやめられてはいない)。
なんとか生存してきたらいつの間にか、「どうせ」と言わなくてもある程度満足感を得られるところまで、人生の駒を進めていたんだと思う。そうしたら今度は自分の方こそが、「どうせ」と言われる側になっていたのだった。
だった。
インターネットで言われた陰口をここにまとめる。
(1)人権活動家はみんな利権屋である。牧村朝子もLGBT団体に関わっている。ゆえに牧村朝子はその団体から金をもらっており、同和差別やLGBT差別や女性差別といった、ありもしない人権問題をでっち上げることでおまんまを食っているのだ。
(2)メディアはみんなユダヤ人が作っている。牧村朝子はメディア関係者である。ゆえに牧村朝子はどうせユダヤの裏金をたんまりもらっており、その証拠に、人差し指と親指で輪を作る666のサインをして写真に写っているのだ。
(3)女はみんな金と権力のある男に媚びることで生きている。牧村朝子も女である。ゆえに牧村朝子にはどうせ男性パトロンがいて、要するに枕営業で仕事を得たりお金をもらったりしているビジネスレズビアンなのだ。
こうした陰口をわたしは、エゴサしている。芸名、愛称、著作タイトル、出演番組、掲載媒体名、また諸々の表記揺れも含めて、ハイパーエゴサーチしている。
晒さない。向き合う。こうして書いてきちんと考える。
なぜなら。
「どうせあいつは恵まれてるんだ、ずるいなあ」って、わたし自身も言っていたからだ。「あいつらはずるい」という想いで苦しかったからだ。「あいつらはずるい」という想いで誰かが苦しんでいるならば、それは、わたしの苦しみだからだ。
聞いてもらえるかどうか、わからない。
わたしを、利権屋だとか、イルミナティだとか、権力者の愛人だとかって、本気で信じて叩いている人に、聞いてもらえるかどうかは、わからない。
でも、書く。「どうせ聞いてもらえない」とか「触っちゃいけない人だ」とシャッターを下ろすことで自分の世界が狭まるのは損なので、書く。あなたが、わたしが、人間が、どうしたら、「あいつらはずるい」というこの感じから自由になれるかを。
あなたは今までどんな時に、「どうせ」と口にしただろうか。
あなたには人を指差して、「ずるい」と言ったことがあるだろうか?
わたしには、ある。 いっぱいある。 わたしの「ずるい」は基本的に、「男」に向いていた。男であれば、女であるわたしに許されない自由が、愛が、得られるのだと思ってきた。
男はずるい。
女を愛することが社会的に許されているのでずるい。
おっぱいパブでハッスルタイムできてずるい。
いちいち「女性作家」とか「女社長」とか「女子高生」とか「リケジョ」とか「女」タグがつけられない、ただの「作家」「社長」「高校生」「理系」などなどでいられるのでずるい。
男はいつまでもガキだからなとか、好きな子には意地悪しちゃうんだとか、笑いあって許しあっていられるのでずるい。
スタンドバイミーできるのでずるい。
ただ彼女より若いというだけで継母に妬まれて毒林檎で殺されかける白雪姫のような思いをしなくて済むのでずるい。
ただ彼女より若いというだけで女は女を妬むものなんだろうさあ戦えよ女の敵は女なんだなと決めつける半笑いの人々に取り囲まれて煽られなくて済むのでずるい。
王子様の助けなんか待たずに自分で剣を振るって戦えるので、ずるい……。
ずるい、ずるいと言いながら、男になれずにぽろぽろ泣いた。
ずるい、ずるいと泣く中で、こんな言葉が浮かび上がった。
「許されたかった。」
自分だって許されたかったんだ。
「認められたかった。」
「報われたかった。」
落ちてしまった穴の中から、届かない星に手を伸ばして、こんなにもがいてきたってことを、無駄だと思いたくなかった。許されたかった。認められたかった。報われたかったんだ。男はずるい、って指さすことで、わたしはあきらめようとしていたんだ。ずるい男には許されていると思えた、しあわせを……。
しあわせになりたいっていう、このあこがれが人を急き立てるのだと思う。しあわせになりたくて、歩いて歩いて、でも、どんなに歩いてもあの星は遠くて、だから、だから、「ずるい」って言うほか、なくなるんだと思う。
本当は、許されたかったのに。 本当は、認められたかったのに。 本当は、報われたかったのに。 本当は、あれが欲しかったのに。
「はじめから許されているやつが、認められているやつが、報われるどころか努力すら必要としないやつがいるんだ」って、「自分はそのずるいやつらの不正を暴く側だぞ」って、そう叫ぶことで、つかの間の正しさに、正しそうな怒声の中に、忘れようとしてしまうんだと思う。
本当は自分だって、あの星に届きたかったんだ、って願いを。「ずるい」恵まれた側に生まれなかった自分だって、届かなくったって、せめてあの星に向かって歩くことくらいはできるんじゃないか、って、希望を。
わたしは耳をすます。わたしが憧れた「男」の側からも、ずるい、ずるい、って声が聞こえる。