なぜそうなったのか、は分からないけれど、幼い頃からフェミニストだった。
教科書で「女性には参政権がなかった」とかいう記述を読むだけで、悔しさに息苦しくなり、小学4年生の時、市川房枝さんが亡くなった時には敬意を示す気分で「市川房枝新聞」を教室の壁に張り出したりするような女の子だった。
自分でも持て余すほどの自尊心があり、それゆえに傷つきやすい子ども。だからこそ「女であることが二流であり続けた歴史」を学べば本気ですり減り、「こんな屈辱は二度とあいたくない、あうべきではない」というフェミ魂を育てていたのだと、今は思う。
当然そんな子どもはクラスで浮いていた、だろう。とはいえ、人権問題に忙しく空気を読まない子どもだったので「浮いている」とか「浮いていない」とか、そういうことがまったく気にならなかった。
よく「女特有の陰湿なイジメにあいました」とか「トイレに一緒に行く女特有のじめじめした関係が苦手で」とか「女特有のヒエラルキーに苦しんだ」と言う人がいる。というより、今までいろいろな人をインタビューしてきたが、「子どもの頃、女どうしの関係が苦手だった」と言い切る女性は、もしかしたらマジョリティではないか、と思うほど多い。
また「女友だちはいないです」というようなことを、自虐的に、でもちょっと誇らしい感じで言う人も少なくない。さらに女性だけで会社を経営しています、と言う私に、「女性だけだと大変でしょう」と聞く人は数え切れないほどいる。恐らく、「女だけの空間」「女どうしの関係」「女社会」というものに対するネガティブなイメージは相当強いのだろう。
陰険でない女友達がいる人は、”女どうし”を語らない
幸いなことに私には、小中高大、どの思い出をどう切り取っても、「女特有の陰湿さ」が浮かんでこないのだ。変わっていた子どもだったとは思うけれど、いつも大好きな女友だちに囲まれていた。もちろんトイレに一緒に行こう〜!という文化はあったけれど、それをイヤだと思ったことはなく、誘われるのはいつでも嬉しかった。
とはいえ、「女どうしの陰湿な云々」がどんなグループのどんな空気のことを言うのかは、うっすらと分かるようには思う。小学4年生頃だったか、ユウコちゃんというクラスメイトがいた。
色が白くて髪の毛がふんわりとパーマがかかってるみたいに柔らかくて茶色で、〝お人形さん〞みたいに可愛い女の子。男子の一番人気で、担任の先生(男)の一番のお気に入り。もちろん「将来の夢はお嫁さん」とか「お花屋さん」という感じの女の子。
そのユウコちゃんがいつだったか、「女どうしはだめよね」と言ったことを、私はなぜか強烈に覚えている。人気者のユウコちゃんが、大人びた調子でそんなことを言って、周りの女子もなんとなく「そうねぇ」みたいな空気になったのだ。
私は混乱した。「え?でもユウコちゃんも私も女だし。しかも、今、女の子だけでいるこの今を、否定しちゃうことになるよ?」みたいな感じで、「えーえーえー」と言語化できない苛立ちをユウコちゃんにぶつけたのだが、うまく言えなかった。
結局その場は、「もう、ミンミン(私のことです)は真面目なんだからぁ」と笑われて解散、みたいな空気になった。
もし私が、ユウコちゃんを始めとする勢力だけに囲まれて育っていたら......と思うと、それはさぞかし辛い学校生活だったろう。話が合わないし、何を言っても「真面目なんだからぁ」と笑われる関係。しかもユウコちゃんはいつも女王のように振る舞い、周りの女の子たちは手下のような顔で、いろんな女の子の悪口を言いまくっていた。そんな中にいたら、そしてそんな女の子グループしかクラスにいなかったら、それはそれは女の子でいることは、息苦しいことだろう。
私がなぜ、ユウコちゃんグループに飲み込まれなかったのかは、分からない。でも「ユウコちゃんと話してもつまんない」ということが、私にとっては一番大切だった。いじめが今ほど深刻な社会問題ではなく、またクラス内の同調圧力が今ほど過酷ではなかった時代のおかげもあるかもしれないが、少なくとも、ユウコちゃんグループに入らなくても、友だちになりたい女の子は、他にいくらでもいた。
もしかしたら、「女どうしの関係は陰険」と言いたがる人は、陰険ではない女友だちとの関係を築くことができず、それを築こうとも思えず、築く訓練もできなかったのかもしれない。それは意志の問題というよりは、状況の不幸として。
20年ぶりに再会した女友だち
先日、フェイスブックを通じて私は約20年ぶりに小学校時代の女友だちと再会したのだった。仲良しグループのエル。私に『ガラスの仮面』や『パタリロ』を教えてくれた女の子。今となっては、どんな会話を私たちが交わしたかは覚えていない。
でも、20年ぶりに街で待ち合わせした時に、私は50メートル先にいるエルが、エルだって分かったのだった。もちろんお互いにいろいろ変わってる。年も取った。白髪もあれば、シミも皺もある。でも、私の知っているエルが、より「エル」という原型に近づくような感じでそこに立っていた、というか。顔かたちや着ている服や髪型なのではなく、エルの中にいたエルという人と、子ども時代は付き合っていたのかもしれない、なんて思うほどの衝撃として、私にはエルがすぐに分かったのだ。
さらに驚いたことは、20年ぶりの再会なのに、話が驚くほど弾んだことだった。
小学校を卒業する時、習字が得意だった担任の男性教諭が、先生が君たちに言葉を一つずつ色紙に書いて贈ります、とおっしゃったことがある。まさに「贈る言葉」だ。
私はその先生とあまり気が合わない、と思っていた。なので、先生に言葉を贈られるより、自分が好きな言葉を先生に書いてもらいたい、と先生に頼みにいったのだ。そしてそれを頼んだのは、クラスで私とエル、二人だった。
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