大坂の喧騒は五左衛門にとって心地よいものだった。
五左衛門のような商人は、そうした活気を己の活力にしていくところがあり、大坂のような場所に来ると、なぜか元気がわいてくる。
——他人の活力を少しでもいただかないとな。
ここのところ五左衛門は、しばしば気分が悪くなり食欲もなくなっていた。最近は吐瀉物の中に血が混じっていることもある。
そうした不調を、五左衛門は周囲に漏らしていなかった。というのも、そんなことをすれば、皆が心配して隠居を勧めてくるからだ。
——まだ隠居するわけにはいかない。
五左衛門は、丸尾屋だけでなく塩飽諸島の商人たちを束ねていく立場にある。しかも今、七兵衛を介した幕府との大商いも進んでおり、それが一段落するまでは隠居できない。
実は今回の大坂行きも、著名な医家に検診してもらうことが目的の一つだった。
医家によると、胃の腑の下部辺りに小さなしこりがあり、それが不調をもたらしているという。そのしこりには五左衛門も気づいており、以前より少しずつ大きくなってきている気がする。
五左衛門が治療法を聞くと、医家は黙って首を左右に振った。
——だとしたら、いつ死んでもいいようにしておかねばならない。
五左衛門は覚悟を決めた。
河村屋の大坂店は天満の青物市場の近くにある。天満は大坂の中でもとりわけ賑やかな一帯で、今朝も棒手振りたちが威勢のいい掛け声を上げながら四方に散っていく。
棒手振りたちは、野菜の満載された籠を前後に取り付けた天秤棒を担ぎ、それぞれの縄張りに向かう。彼らは皆若く、その筋肉は躍動していた。
そうした光景を眺めていると、若さというのが、いかに貴重か思い知らされる。
かつて五左衛門は、人は五十まで生きられれば十分だと思っていた。だが、いざその門口に差し掛かってみると、心配事が山積されており、まだまだ死ねないと思う。
——人にも春夏秋冬がある。だが四季の移ろいと違って、人の春は二度とやってこない。
当たり前のことだが、人は衰え、やがて死ぬ。それを受け入れていかねばならないのだが、人によっては、それがうまくできない者もいる。
——嘉右衛門よ、お前の気持ちはよく分かる。
そんなことを思いながら、五左衛門は河村屋の暖簾をくぐった。
前もって来訪を知らせてあったので、七兵衛は中で待っていてくれた。
「お久しぶりですな」
七兵衛が血色のいい相好を崩す。七兵衛は五左衛門より年上のはずだが、十以上も若く見える。
型通りの挨拶を交わした後、早速、五左衛門は切り出した。
「われらの船と船手衆の働きぶりは、いかがですか」
「塩飽の船手衆は国内随一と聞いていましたが、なるほど、見事な帆さばきや舵さばきで縦横無尽に海を走り回り、今では、ほかの船子たちの手本になっています」
五左衛門は胸を撫で下ろした。
「そうですか。それはよかった」
「塩飽の衆に城米廻漕を依頼してからというもの、損米の割合も下がり、お上も喜んでいます」
「ありがとうございます」
お上という言葉が出ると、自然に体が硬くなる。
「ただ——」と言って、七兵衛が思案顔になる。
「やはり今ある船だけでは、江戸の胃の腑を満たすことはできません」
「もっと船を増やさねばならないのですか」
「いや、船を増やせば、それだけ船子の数も必要になる上、海難事故も起こりやすくなります。だからこそ大船が要るのです」
「では、やはり千石船を——」
「はい。しかし大船というのは、なかなか厄介なものですな」
七兵衛がこれまでの顚末を語った。
「ということは、佐渡の方もこれからなんですね」
「そうなんです。腕のいい大工をかき集め、まずは七百五十石積みの試し船を造らせようと思っています。それで不具合を調整してから、千石船に挑むつもりです」
「素人考えですが、船というのは、すべてを大きくすればよいわけではなく、新たな思案が必要なはずです。それで嘉右衛門の息子のことですが——」
「もちろん弥八郎のことも、あの雛型のことも忘れてはいません。ただ、そう容易にはいかないでしょう」
七兵衛の言うことは、五左衛門にもよく分かる。
「大工たちの心を、いかに摑むかですね」
「その通りです。わいが命令一下やらせることもできます。だがそれでは、いい仕事はできません。ここは焦らず、皆が一丸となって、新しい思案に基づいた大船が造れるように仕向けるしかないのです。ただそれをやるのは、わいではありません」
七兵衛の顔に笑みが浮かぶ。