佐渡島での生活が始まった。
すぐに船造りに駆り出されるかと思いきや、まずは千石船を造るための作事場の拡張や部材を木挽きするための作事小屋の建築を手伝わされた。
七兵衛は自ら資金を負担し、これまで二百石積み船までしか造れなかった清九郎の作事場を、千石積みの船が造れるまで拡張しようとしていた。
七兵衛は町年寄や清九郎と頻繁に会っては打ち合わせをし、五日ほど滞在しただけで帰ることになった。
清九郎から「河村屋さんの見送りに行ってこい」と言われた弥八郎は、七兵衛の宿を訪れ、その荷物を持って小木港まで見送りに行った。
港に着くと、ちょうど七兵衛が乗る予定の大船の方から、何艘かの瀬取船が戻ってくるところだった。どうやら荷の積み込みを終え、出航の準備が整ったようだ。
「ここでなら、何とかやっていけそうだな」
七兵衛が弥八郎に語り掛ける。
「へい。ここでやれなかったら、もう行き場はありません」
「その通りだ。ここには逃げ場はない。あの者たちのようにな」
七兵衛の視線の先には別の船があった。そこでは人足たちが、金や鉱物の入った布袋を積み込んでいる。
「あれが何をしているか分かるな」
「へい。孫四郎から聞きました」
清九郎の息子の孫四郎は人懐っこい性格で、折に触れて、この島で生きていくために必要な知識を教えてくれる。
「あれは罪人か無宿人だ」
佐渡金山の採掘は専門の掘師たちが当たっているが、坑道内にたまった水を外に汲み出す水替や、鉱物の運搬や積載作業は、罪人や無宿人が担っている。
「奴らは劣悪な仕事場で働いている。仕事自体もきつい。だから大半は三年と持たないで死んでいく。逃げ出す者が跡を絶たないのも分かるというものだ」
「こんなところから、どうやって逃げ出すんですか」
「死ぬと分かれば、人は何でもやる。清九郎のところでも何度か小船が盗まれている」
金山から逃亡した罪人が清九郎の作事場まで来たと聞き、弥八郎は息をのんだ。
「もちろん首尾よく小船を盗んでも、越後国にたどり着いた者はいない」
弥八郎は北海の荒波を思い出した。
罪人たちは磯釣りか何かに使う小船を盗むのだろうが、そんな船であの海を渡ることなど、できようはずがない。
「それでも、奴らは船を盗むのですね」
「そうだ。奴らは死に物狂いだ。だから何があっても、奴らにはかかわるなよ」
「分かりました」
弥八郎は、この島の暗部を垣間見た気がした。
「お前さんも、船を盗んで逃げ出そうなんて気は起こすなよ」
七兵衛が弥八郎の肩を揺すりながら笑う。
「ご心配には及びません」
実際のところは不安だらけなのだが、今はそう答えるしかない。
「それで、わいが預かっている雛型だがな——」
「雛型がどうかしましたか」
七兵衛に預けた雛型は、大坂の河村屋の蔵にあるものと思っていた。
「小木の廻船問屋の風間屋さんに預けておいた」
風間屋といえば、佐渡島でも有数の大店である。
「ここに運び込んでいたのですね」
「ああ、ここは大坂のように、ちょくちょく来られる場所じゃないからな」
「恩に着ます」
市蔵と一緒に造った雛型がこの島にあると聞き、弥八郎は市蔵が側にいてくれるような安堵感を抱いた。
「風間屋さんには、そのうち挨拶に行けばいい。だがな——」
七兵衛が弥八郎の襟を摑んで引き寄せると、小声で言った。
「まだ雛型を清九郎さんたちに見せるなよ。お前さんがここの作事場に溶け込み、その腕を一人前と認められてからでないと反感を買うだけだ」
「分かっています」
「勝負札というのは、ここ一番で使うもんだ」
「は、はい」
最後に弥八郎の肩を叩くと、七兵衛は渡し板を伝って瀬取船に乗り込んだ。
弥八郎が荷物を運び込もうとすると、七兵衛の従者が引き受けてくれた。
「じゃあな、体に気をつけるんだぞ」
渡し板が外され、船が動き出す。
「お気遣いありがとうございます」
七兵衛の乗った瀬取船が桟橋を離れ、湾内に停泊する便船に近づいていく。腕組みしながら大船に向かう七兵衛の後ろ姿を見ながら、弥八郎は初めて心細くなってきた。
——だが案ずることはない。わいには市蔵さんの雛型がある。
弥八郎はそれを支えにして、この島で生きていこうと決意した。
作事場に戻った弥八郎が、清九郎に七兵衛を見送ってきたことを告げると、清九郎は不機嫌そうに「それだけか」と問うてきた。
「えっ、ほかに何か——」
「気の利かない奴だな。次に来るのはいつ頃か、七兵衛さんに聞かなかったのか」
「ああ、はい」
たとえ問うたところで、「分からない」と言われるに決まっている。
「もういい。その辺を掃いていろ」
「へい」と答えて弥八郎は、手早く箒と塵取りを持って大鋸屑を片付け始めた。
弥八郎は不満を面に出さず、命じられた仕事に取り組もうとした。
しばらくして昼の休憩になった。
作事場では三食出るが、米が出るのは盆と正月だけで、普段は雑穀米に大根などの菜が主食となる。それらを車座になって食べながら、皆で世間話をするのだ。
大坂の時のように、手の空いた者が別々に食事をするわけではないので、互いを知るいい機会になる。
「おい、そこの若いの、お前さんは塩飽から来たんだって」
大工の一人が問うてきた。
「へい、塩飽の牛島から来ました」
「ここはどうだい」
「いや、無我夢中なんで、いいも悪いも考えたことはありません」
「こいつはまいった」
弥八郎の受け答えが面白かったのか、皆がどっと沸く。
「冬が来たら瀬戸の海に帰りたくなるぜ」
その言葉に皆もうなずいている。
「皆さん、故郷はどこなんですか」
「ばらばらだよ。でもな——」
長身で物静かな男が答える。
「多くは越後や越前の産だが、中には大坂や江戸はもちろん、西国や九州から来ている者もいる」
「つまり皆さんは河村屋さんとの縁で——」
「そうだよ。わしらは、冬の佐渡海峡でもびくともしない頑丈な千石船を造りたいという河村屋さんの話にほだされて、ここまで来ちまったんだ」
その言葉に周囲から賛同の声が上がる。
佐渡海峡とは、佐渡島と越後国の間に横たわる最短距離八里弱の狭い海峡のことだ。冬場はこの難所での海難事故が多いため、晩秋から初春までの四月ほどの間、好天を見計らって小型の便船が往復する以外、船の航行はできなかった。
——それほどの難所を苦もなく航行できる船を造るために、皆は集められたんだな。つまり皆、相当の腕ってわけか。
佐渡に来てから、それぞれの仕事ぶりまで観察する時間はなかったが、その話しぶりや道具の扱いから、皆、かなりの手練れだとは思っていた。だがここに来ている者たちが、七兵衛に誘われてやってきたとまでは知らなかった。
「河村屋さんは、そこまでして千石船を造りたいんですね」
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