作事場の雰囲気はいつもと変わりない。だが嘉右衛門は、言葉には言い表せない違和感を抱いていた。
——もう市蔵も弥八郎もいないんだ。
それが違和感の正体なのかどうかは分からない。だが、そこにいるべき人物がいないということが、自分の居場所をもなくしているような気がした。
——わいがしっかりしないでどうする!
己を叱咤してみても、違和感を払拭できるわけではない。
——目の前の仕事に没頭するんだ。
首に掛けた手拭いで滴る汗をぬぐった嘉右衛門は、和紙の上にヘラで下書き線を入れ始めた。これを元にして最終的な差図に仕上げるのだが、その時は墨で実線を入れていく。
常の注文なら、規格の決まった五百石船なので図面を新たに起こす必要はない。しかしこの注文は六百石積みの糸荷船なので、新たに紙図から起こさなければならない。
糸荷船は、オランダ船や中国船が運び込む絹糸・絹織物・羅紗などの舶来品を長崎で積み込み、大坂と江戸で降ろす船のことだ。これまでこの商売は、幕府のお墨付きをもらった堺が独占していたため、糸荷船とは呼ばれずに堺船と呼ばれるくらいだった。
だが交易が盛んになるにつれ、堺だけでは船が足りなくなり、幕府が免許制を解除したため、今では各地で糸荷船の需要が高まってきている。
糸荷船が常の弁財船と異なるのは、積み荷が一度でも濡れると商品価値を失うことで、厳格に密閉せねばならないことだ。すなわち波をかぶっても船倉の品が濡れないようにするため、開の口(開口部)を極端に狭くし、その位置にも工夫が要る。
嘉右衛門は堺船を見たことはあるが、図面の入手はできていないので、見よう見まねで造るしかなかった。それでも様々な特徴を思い起こしながら、嘉右衛門は徹夜で差図を描き上げた。
翌朝、一番で出てきた磯平に差図を渡した嘉右衛門は、一服してから寝ることにして、作事場の前の浜まで行った。
——今頃、弥八郎はどうしているのか。
おそらく大坂の船造りたちと、千石船をめぐって侃々諤々の議論を続けているに違いない。だが誇り高い大坂の船大工たちが、おいそれと弥八郎の案を受け入れるとは思えない。
——だが、受け入れたらどうする。
あの雛型を見た大坂の連中が感心し、弥八郎の指揮下で千石船を造り上げてしまうことも十分に考えられる。
——そうなった時、わいの立場はなくなる。
息子に功名を挙げてほしいと思う反面、「うまくいってほしくない」という屈折した感情が心中で渦巻く。
その時、「頭」という声がして振り向くと、背後に磯平が立っていた。
「どした」
「よろしいですか」と磯平が問うので、「構わねえよ」と答えたが、磯平はいつになく緊張した面持ちでいる。
「何か思うところでもあるのか。遠慮せずに言ってみろよ」
「へい。この差図ですが——」
「なんでえ」と言いながら磯平の持ってきた差図をのぞき込むと、磯平がおずおずと言った。
「ここに開の口を開けるのはどうかと——」
磯平が示した箇所を、嘉右衛門はじっくりと見た。
「堺船はどこに開けていた」
「ここです」
磯平が指したのは、舷側の垣立部分だった。
「つまり荷を舷側から入れ、舷側から出すようにすれば、開の口からの浸水は防げます」
確かに重量物を積載しないので、舷側に開の口を開けても、積み降ろしの利便性は損なわない。
「堺船はそうだったか」
「はい。そうなっていたかと——」
「分かった。差図を描き直そう」
「いや、わいがやっておきます。頭はお疲れのようなので、お休み下さい」
「疲れてなんかいねえよ」
作事場に戻ろうとする嘉右衛門に、磯平が言う。
「どうかご自愛なさって下さい」
嘉右衛門の足が止まる。これまでだったら「うるせえ」と言いながら我を通したはずだが、なぜか磯平の勧めに従いたい気持ちになっていた。
「そうだな。そうするか」
「ええ、もう無理はしないで下さい」
嘉右衛門は、「分かった」と言うや、自宅に向かおうとした。
「頭、お待ち下さい」と、背後から磯平の声が追ってきた。
「まだ何かあるのか」
「実は、熊一のことですが——」
熊一とは十六歳になる市蔵の息子で、小僧から大工見習いに格上げしたばかりだった。
「熊一がどうかしたのか」
「へい。あれはいい大工になります」