あんたが塩飽から来た大工かい」父と子 ー1

「俺はまだ終わっちゃいねえ!」 江戸時代初期、江戸の町に食糧危機が迫っていた。必要なのは物流革命の切り札「千石船」━━。 息子も居場所も仕事の誇りもすべてを失い、老いにどん底まで追い詰められた男が逆襲する! 『男たちの船出』は、イノベーションの生みだす様々なジレンマを、船大工たちの視点で描いた長編時代小説です。 (火・木 10時更新)

 —あれは何だ。

あさもや彼方かなたに何かが見えてきた。

 —まさか帆柱か。

 それが林立する帆柱だと分かった時、弥八郎の胸は高鳴った。

 そのうちのいくつかは白い帆をいっぱいに張り、前後左右に動き回っている。

 —ここが大坂か。わいはここで勝負するのか。

 胸に「やってやるぞ」という気概が満ちる。その反面、こんなに船の多いところで、二十一歳の若者に何ができるという不安が頭をもたげる。

「どうだ、驚いたか」

 背後から七兵衛の声が掛かる。

「へい」と答えてみたものの、続く言葉は出てこない。

「江戸が武士の町なら、大坂は商人の町だ。驚くのはまだ早い」

 それにしても、その船の数には目を見張るものがある。「出船千艘、入船千艘」とは聞いていたが、そこかしこを大小の船が行き交い、港に近づけば近づくほど、その密度は増していく。沖合から見ると、湾口付近の陸地は白い帆で見えないほどだ。

「ここはもと一のにぎわいだ。住人の数は江戸の方が多いが、船の数は大坂の方が断然上さ」

 啞然として湾内を眺める弥八郎の横で、七兵衛が当然のように答える。

 二人の乗る五百石積み船は、徐々に大坂湾の中心部に近づいていった。

「あの島は何ですか」

 弥八郎が湾口に横たわる巨大な砂洲を指差す。

「あれはじようじまという砂洲だ。淀川によって上流から流されてきた土砂が河口にたまって島となったんだが、あの島が邪魔になるので、大船はかなり沖に停泊し、うわぶねと呼ばれる平底の小船に、積んできた荷を載せ換えねばならない」

「それは手間ですね」

「そうなんだ。沖で載せ換えた後は、ああしてみおに沿って淀川をさかのぼっていくんだ」

 上荷船は、ほぼ一列になって河口に向かっていく。

「どうしてですか」

「淀川河口は、土砂がたまっていて水深が浅い。だからああして水路を行かないと、平底でも土砂に乗り上げちまうってわけさ」

 入っていく船と出ていく船が、擦れ違う船を右手に見ながら整然と進んでいく。

 —だから「出船千艘、入船千艘」というわけか。

 弥八郎は、その光景を見て納得した。

「ここは水の都さ。言い換えれば船子の町だ」

「船子の町、と—」

「そうさ。船子だけで一万五千人、船大工だけで三千人。船や交易にかかわる者だけで、五万人はいると言われている」

「そんなに—」

 塩飽のような狭い土地で生きてきた弥八郎にとって、七兵衛の言う数字は実感として摑みにくい。

「それだけ競争が激しいってことだ。ここで働くってのは並大抵じゃないぞ」

「心得ています」

 やがて二人の乗る大船が所定の場所に垂らしを下ろすと、上荷船が群がるように集まり、荷を降ろし始めた。同時に乗客の渡し船も接舷され、渡し板が架けられた。それを渡って乗客が乗り込むと、渡し船は船着場に向かっていく。

 河口に近づくに従い、淀川の両岸に海鼠なまこかべの蔵が所狭しと並んでいるのに気づいた。その前を行き来する人の数も尋常ではない。その作り出す喧騒が迫ってくるので、弥八郎は気後れしてきた。

「七兵衛さん、今日は祭礼でもあるんですかい」

「ははは、そんなものないさ。ここはいつもこうなんだ」

 七兵衛の高笑いも、人々の喧騒にかき消される。

 やがて渡し船が船着場に着き、弥八郎は大坂への第一歩をしるした。

 周囲を見回すと、様々な年齢や職業の老若男女が、何事か大声でしゃべりながら行き来している。どこかの藩の蔵役人なのか、胸をそびやかすようにして歩いている者もいる。だが人々は道を譲ることはしても、武士だからといって頭を下げることはない。

 通り過ぎる人々は皆、それぞれの目的のために目を血走らせ、どこかに足早に向かっていく。

「何をやっている。迷ったら二度と会えんぞ」

 七兵衛の声が五間(約九メートル)ほど向こうで聞こえる。弥八郎が血相を変えて走り寄ったので、七兵衛と従者は声を上げて笑った。

「戯れ言だよ。ここで迷ったって何とかなる」

 七兵衛は歩きながら様々なことを教えてくれた。

「ここにいる船大工の大半は、てんどうじま、伝法で働いている」

 地名を言われても、土地勘のない弥八郎にはぴんと来ない。

「淀川沿いには大小無数の作事場があり、内陸部でり出した部材を、河畔の船小屋で組み立てている」

「つまり部材を作る作事場と、船を仕上げる船小屋が分かれているのですね」

「そうだ。ここの仕事は細かく分かれている。帆職人、船蔵(船の保管業)、廻船問屋、材木屋、船道具屋など、船にかかわる仕事をしている者たちがわんさといる。中にはときふね屋といってな、廃船を買い上げてきて解体し、部材やら釘やら、まだ使えるものを転売する商いさえある」

 七兵衛は人の波をかき分けるようにして進む。だが人ごみに慣れていない弥八郎は、対向する人とぶつかったり、お見合いしたりして、なかなか前に進めない。

「大坂が船造りの中心になったのは、どんな木材でも即座に集められるからだ」

 弥八郎が懸命に七兵衛に追いつく。

「どんな木材でも、ですか」

「そうさ。船底の航に使う杉や松、なみきり水押みよしに使うけやき、垣立に使うひのきかじづかに使うかしなどが、ここにいれば容易に手に入る。もちろん木材は相場に左右されるので、十分な元手がないと思うようにはいかないがな」

 七兵衛は、自分なら最上質の木材が即座に手に入ると言いたいかのようだ。

 すでに半刻(約一時間)も歩いただろうか。七兵衛はその地位に見合わず、など使わない。途中でどこかの店に入って野暮用を済ませながら歩くからだ。その度に、弥八郎は従者と一緒に外で待たされた。

「着いたぜ」

 伝法らしき町に入ったところで突然、七兵衛が足を止めた。

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男たちの船出

伊東潤

「俺はまだ終わっちゃいねえ!」 江戸時代初期、江戸の町に食糧危機が迫っていた。必要なのは物流革命の切り札「船」 息子も居場所も仕事の誇りもすべてを失い、老いにどん底まで追い詰められた男が逆襲する! 『男たちの船出』は、イノベーシ...もっと読む

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0mo_om0 さあここから第二章。弥八郎がついに大坂に!弊社インターンの初日を思い出すなあ。 2年弱前 replyretweetfavorite