登場人物紹介
僕:数学が好きな高校生。
ユーリ:僕のいとこの中学生。 僕のことを《お兄ちゃん》と呼ぶ。 論理的な話は好きだが飽きっぽい。
ノナ:ユーリの同級生。 ベレー帽をかぶってて、丸い眼鏡を掛けていて、ひとふさだけの銀髪メッシュ。 数学は苦手だけど、興味を持ってる中学生。
僕の部屋
僕は、数学が苦手なノナに座標平面と直線の話をしている。
$y = x$という式が表している直線
僕「この直線にはだいぶ慣れてきたから、別の問題に挑戦してみよう。いっしょに考えてみようね!」
ノナ「はい$\NONAHEART$」
ユーリ「いっしょに考えよー!」
僕「じゃあ、今度は$y = x$という直線じゃなくて、別の直線を描くよ。たとえば、$y = 2x$という式はこんな直線を表しているといえる」
$y = 2x$という式が表している直線
ユーリ「カンタン、カンタン!」
僕「ノナちゃんは、わかる?」
ノナ「覚えてる……覚えています$\NONA$」
僕「覚えてるんだ。$y = ax$という式が表す直線を覚えているのかなあ」
ノナ「$y = ax$は光みたいなの……遠くからの光みたいです$\NONA$」
僕「遠くからの光みたいって、どういうこと?」
ノナは、ささっと紙の上に線を描いた。
ユーリ「なーるほどー」
僕「遠くからの光か……これは$a$の値を変えてたくさんの直線を描いたんだね。$y = ax$という一般的な形で」
ノナ「教科書に載ってた……載っていました$\NONA$」
僕「そこまでわかっているなら、話は早いよ。ノナちゃんはしっかりわかってる」
ノナ「ちゃんと覚えてるし$\NONA$」
僕「さっきの直線$y = 2x$に戻るけど、$y = 2x$という式は、$2x = y$と書いても、$2x - y = 0$と書いても、$x - y = -x$と書いても同じ直線を表している……というのは、 わかる?」
どの式でも同じ直線を表している
$$ \begin{align*} y &= 2x \\ 2x &= y \\ 2x - y &= 0 \\ x - y &= -x \\ \end{align*} $$
ノナ「……$\NONAQ$」
僕「あれ?」
ユーリ「移項すればいーんでしょ? あたりまえじゃん」
ノナ「うーん$\NONAX$」
ノナは、ベレー帽からのぞいている前髪をいじり始めた。
不思議だ。
$y = ax$が、原点を通る一般的な直線だとわかっているのに、 $y = 2x$という式を変形しただけで同じ直線を表すとわからなくなる?
そんなこと、あるのかな。
ノナが何を理解していて、何を理解していないか、どうもとらえどころがない。
ノナの返事も要領を得ない(というか、そもそも言葉が少ない)。
でも、ときどき「ものすごく理解してる」ような印象がある。
不思議だ。
さてさて……
ユーリ「ノナ、ノナ。$y = 2x$で両辺入れ換えたら$2x = y$じゃん。だから同じなんだよー」
ノナ「それはわかる$\NONA$」
ユーリ「$2x = y$で、$y$を左辺に移項したら$2x - y = 0$になるからこれも同じだし。ノナ、移項はできてたじゃん」
ノナ「移項は覚えてるよう$\NONA$」
僕「だったら、ノナちゃんはどこで引っかかっているんだろう」
ノナ「ぜんぶ……ぜんぶわかりません$\NONA$」
ユーリ「いやいやいや」
僕「いやいやいや」
ノナの「ぜんぶわからない」発言に対して、ユーリと僕は声をハモらせながら顔の前で手のひらを振る。
練習したわけでもないのに、息がぴったり合ってるな。
僕「ねえ、ノナちゃん。全部わからないってことはないからね。 ノナちゃんは座標平面上に点も打てるし、$y = 2x$という式がこの直線を表していることもわかってる。 それに$y = ax$という一般的な直線のこともわかっている。 だから、全部わからないってことはないんだよ」
ノナ「ごめん……ごめんなさい$\NONAX$」
僕「いや、怒ってるわけじゃないから、謝らなくてもいいんだよ。ノナちゃんは数学に興味があるんだよね。 だから僕は、少しでもノナちゃんが理解することの手伝いをしたい」
ノナは、こくんとうなずく。
僕「ノナちゃんが何をどのように理解しているかがわかるのは、ノナちゃん本人だけなんだよ。だから『全部わからない』となっちゃうと困ってしまう」
ユーリ「そーそー!」
ノナ「怒ってない……怒ってないですか$\NONAQ$」
僕「怒ってなんかいないよ。ノナちゃんが気になるところはどこだろう。 ノナちゃんは、$y = 2x$という式がこの直線を表していることはわかるんだよね」
ノナ「はい。覚えてます$\NONA$」
僕「それから、左辺と右辺を交換した$2x = y$という式が同じ直線を表していることもわかる」
ユーリ「わかるよねー」
ノナ「はい……同じです$\NONA$」
僕「でも、$2x - y = 0$という式が同じ直線を表しているといわれると、何か引っかかる?」
ノナ「たぶん……同じです$\NONA$」
ユーリ「同じだよー」
僕「うん、ユーリちょっと待って。ノナちゃんは、$2x = y$で右辺の$y$を左辺に移項したら$2x - y = 0$になることは納得してる?」
$$ \begin{align*} 2x &= y && \REMTEXT{直線の式} \\ 2x - y &= 0 && \REMTEXT{右辺の$y$を左辺に移項して得られた式} \\ \end{align*} $$ノナ「大丈夫……大丈夫です$\NONA$」
僕「それなのに、$2x = y$という式と、$2x - y = 0$という式とが、同じ直線を表していると納得できない……難しいなあ!」
ノナ「ごめん……ごめんなさい$\NONAX$」
僕「いやいや、テト……ノナちゃんは謝らなくてもいいよ」
ユーリ「お兄ちゃん! いま名前まちがえなかった?」
僕「ごめんごめん。何だか、テトラちゃんを思い出しちゃって。テトラちゃんもよく謝るんだよね、なぜか。 理解できないことを謝る必要は何もないのに」
ユーリ「ひとの名前まちがえるって、かなりヤバいよ。それは謝る必要あるよ」
ノナ「悪いから……悪いからです$\NONA$」
僕「悪いって何が?」
ノナ「すぐに答えられないのが悪いから謝るの……謝るんです$\NONA$」
ユーリ「いやいやいや」
僕「いやいやいや」
またもや、息ぴったり。
僕「すぐに答えられなくても悪いことは何一つないよ。考えるとき、時間はたっぷり掛けていいんだ。もちろんテストなんかは困るけど、 ふだん数学を考えるときには、時間はたっぷり掛ける。 だって、僕たちが学んでいる数学はめちゃめちゃ頭がいい数学者たちが、 とんでもなく長い時間を掛けて考え抜いてきたものなんだよ」
ユーリ「早口」
僕「おっとっと……それでね、そんな数学を僕たちは学ぼうとしている。『ぱっと聞いて、さっと答える』ことよりも、 『ゆっくり聞いて、じっくり考えて、しっかり答える』ことが大事なんじゃないかなあ」
ノナ「移項しても答えが出ないから……出なくてもいいんですか$\NONAQ$」
僕「はい?」
ノナ「$2x = y$で$2x - y = 0$だと$x = $にならない……なりません$\NONAX$」
難易度高いなあ……と僕は思う。
ノナの言葉を読み解くのはすごく難しい。そして、もどかしい。
でも、 ノナは支離滅裂なことを言ってるわけではないように見える。
彼女の中には一貫した考え方が何かあるように思える。
難易度が高いと感じるのは、 ノナの考え方が僕やユーリとずいぶん違うからだ……たぶん。
ノナがどう考えているかを探りたい。
彼女が何に引っかかっているのかを確かめたい。
彼女がどう考えているのかを解きほぐしたい。
でも、その手がかりはノナの頭の中に隠されていて、僕は直接それに触れることはできない。
ベレー帽の中にある頭脳の動きを彼女自身が調べて、 なんとか外に出してくれないと、 手助けするのは難しい。
とても、難しい。
この連載について
数学ガールの秘密ノート
数学青春物語「数学ガール」の中高生たちが数学トークをする楽しい読み物です。中学生や高校生の数学を題材に、 数学のおもしろさと学ぶよろこびを味わいましょう。本シリーズはすでに14巻以上も書籍化されている大人気連載です。 (毎週金曜日更新)