2018年を生きる若者へ。岡本太郎でも読んで目を覚ませよ

岡本太郎はもちろん作品もいいのだけど、実は、文章もすごくいいのである。以前、太陽の塔がそびえ立つ万博記念公園に遊びに行った際、「EXPO’70 パビリオン」という万博の記念館に立ち寄った。わたしはあのパビリオンで味わった「ひょえー!」という感嘆符を、またしても、今度は文章で味わってしまった。若干の敗北感。この人、文章まですごいんか……。

 大阪で万博開催決定! とニュースが飛び込んできたとき、まっさきに頭に浮かんだのは岡本太郎のことだった。
 そして思った。
「た、太陽の塔を超えるものをつくる覚悟が大阪に……すげーな大阪……」と。

 いや、そうは言っても、万博だからといって必ずしも芸術的オブジェをつくりだす必要はないし、もっとオブジェよりもVRとかARとか(よくわからんけど)、ハイテクな芸術が会場を飾るのだろう。だから太陽の塔と比べる必要なんてどこにもない。はずだ。うん。
 まぁ、それでも難儀な仕事やねえ、とは思うけれど。

 わたしは京都に住んでいるのだけど、きっと関西にいる人なら、いや関西を通ったことのある人なら、アレを見かけたことのない人はいない。と思う。アレったらアレである。そう、太陽の塔。
 以前、太陽の塔がそびえ立つ万博記念公園に遊びに行った際、「EXPO’70 パビリオン」という万博の記念館に立ち寄った。
 正直そこまで期待していたわけではなく、ふらっと立ち寄っただけだった。
 のに、実際見てみると、すごくすごく、すごくおもしろくて、そしてものすんごく驚いた。
 記念館がいったい何を展示しているって、当時の万博会場に飾られていた、岡本太郎の作ったオブジェやホール、それからポスターのみである。そんなに大きい記念館ではない。ただ1970年の開催当時を振り返るだけのオブジェたち。なのに、今見ても、鮮やかにそれはかっこよかった。
 もう一度言うと、かっこよかったんである。ものすごく。

 岡本太郎といえば目ん玉をひん剥いて「芸術は爆発だ!」と叫ぶイメージしかなかったし、むしろ岡本太郎の作品に感動したなんて言ったらミーハーかな、と苦笑する気持ちがどこかにあった。だって太陽の塔とかさあ。大阪の高速道路通るたびに見えるし。なんやねんあの顔。
 だけど、わたしの目の前にはじめて現れた岡本太郎の作品は、かっこよくて、あざやかで、あたらしくて、新鮮に感動した。「か、かっけ~~~」という正直な気持ちは、なんだろう、小さいとき初めて海に浮かぶ生の大きな客船を見た時のおどろきと似ていた。絵本で見てた船って実在すんのか! しかもかっこいいし大きいやんけ! と驚いたあのときの感覚。
 あんまり驚いたので、それから岡本太郎の文章をちょっと読むようになったし、ちらっと岡本太郎作品の置いてある美術館に行ったりしたけれど、やっぱり万博のときの作品はすげえなーと思う。そらー万博もりあがるわ、元気があったんだなあ日本、としみじみ感じた。
 そんなわけで、岡本太郎はもちろん作品もいい(関西には万博記念公園、関東には岡本太郎記念館があるのがすごいですね、どっちも見に行ける!)のだけど、実は、文章もすごくいいのである。
『対極と爆発 ―岡本太郎の宇宙1』(岡本太郎著、山下裕二・椹木野衣・平野暁臣編)を読んだとき、わたしはあのパビリオンで味わった「ひょえー!」という感嘆符を、またしても、今度は文章で味わってしまった。若干の敗北感。この人、文章まですごいんか……。


『対極と爆発 ―岡本太郎の宇宙1』岡本太郎 
山下裕二・椹木野衣・平野暁臣編

 本作は、今となってはタイムリーな「大阪万博」についてのエッセイや対談も載っているし、岡本太郎著作集の第一巻だし、なにより年の瀬の季節に読むと今年の自分と照らし合わせて反省モードにならざるをえない……ので、ぜひおすすめしたい。
 なにが反省するって、岡本太郎の文章は、いつもなにかをこちらに告発してくる。
 だれかになにかを指摘するのは割と体力がいる。共感の方がカロリーレスだ。それちがうんじゃない、とか、あなたは実はちがうふうに思ってるんでしょう、とか言うのは、言う側の元気を奪う。なぜなら言われた側は少し「どきり」として眉を寄せ、そうかなぁと不満げな顔をするに決まってるから。不調和になる原因をわざわざこちらがつくるのは、元気のいる仕事だ。
 だけど岡本太郎は不調和こそを望む。もっとちゃんと葛藤しろ、もっとちゃんとせめぎあえ、とわたしたちに告発する。なあなあで過ごすな、ちゃんと向き合え、と。
 岡本太郎は言う。現代を生きていると、社会人の生活を送っていると、どうしたって「食うため」と言いながら、楽しみつつもみんなどこかでむなしい時間を過ごすことになる。仕事をし、趣味を持ち、毎日を楽しむ。そのなかで時間だけが過ぎてしまう。いつしか自分が自分でなくなるような、「惰性的で、無気力でありながら、しかし神経だけは奇妙にイライラして」しまうときが来る。
 そんな現代社会にとって「必要」なのが芸術なのだ、と。

それは一言でいってしまえば、失われた人間の全体性を奪回しようという情熱の噴出といっていいでしょう。現代の人間の不幸、空虚、疎外、すべてのマイナスが、このポイントにおいて逆にエネルギーとなってふきだすのです。力、才能の問題ではない。たとえ非力でも、その瞬間に非力のままで、全体性をあらわす感動、その表現。それによって、見る者に生きがいを触発させるのです。
失われた自分を回復するためのもっとも純粋で、猛烈な営み。自分は全人間である、ということを、象徴的に自分の姿の上にあらわす。そこに今日の芸術の役割があるのです。(『対極と爆発 ―岡本太郎の宇宙1』より引用)

 芸術って何の役に立つの? とよく言われる。だけどたとえば、あなたもご存知であろう「太陽の塔」は、立っているだけで、その答えを表現する。
 だって考えてみてほしい。

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わたしの咀嚼した本、味見して。

三宅香帆

人気連載【京大院生が選んだ「人生を狂わす」名著50】がリニューアルして再スタート! 書籍『人生を狂わす名著50』の著者であり、現役の京大院生で文学を研究し続ける24歳の三宅香帆が、食べて、咀嚼して、吐いた本の中身を紹介するブックガイドです。

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コメント

feilong “23533” https://t.co/QCdiAZTPhR 13日前 replyretweetfavorite

hidemasainonaka 今の自分の気分とピッタリ重なる岡本太郎の指摘にドキッとさせられた。 13日前 replyretweetfavorite