娘を保育園に預けだしたのは、生後8ヶ月の頃だった。
まだ歩けず、話せもしなかったので、名残惜しさはあったものの、復職時期の関係で、他の選択肢は選べなかった。
新入児の娘は、保育園に着くだけで、毎日まいにち、ギャーギャー泣いた。
もともと、パパの抱っこさえ嫌がるママっ子で、人見知りも強い子だ。
なので予想通りだったのだけど、命綱のように握りしめる私の上着を、小さな手からクッと引き抜くたびに、私の心もザクっと削られた。
先生たちは優しく親切で、はじめはみんなこうですよ、段々楽しめる時間が増えますよ、とほほ笑みかけてくれていた。
でも、お昼寝もできずに泣き続ける娘は、迎えにいくと、フラフラだった。
入園1ヶ月後には多くのお子さんが新しい環境に慣れ、笑顔で親と別れていたのに、娘は頑固に泣き続けた。先生たちも、少し困った様子にみえる。気のせいかもしれないけれど。
そんなゴールデンウイーク明け、迎えにいくと「はじめてお昼寝できました! 今寝てますよ!」と、玄関で会った先生に、明るく告げられた日があった。
ああ、よかった! ついに一歩進んだんだ!
ホッとして、お教室までの階段を駆け上がる。
嬉々として覗き込んだ娘の寝顔には、太い涙のスジが刻まれていた。
ドン!!と強く胸を突かれたような衝撃だった。
嗚咽をこらえ、唇を噛み潰しながら、その場で震えて泣いた。
疲れ果てた様子の、口が開いた寝顔。泣きはらして赤い目元。
何度も何度も、みえない私を、探したのだろう。
これは、大事な大事なSOSではないのか?
明らかに他のお子さんより、保育園への拒否が強い娘。
8ヶ月ではまだ無理だった? 保活に夢中で、ベストな選択を間違えた?
頭を抱えて悩んでも、結論はいつも「でも仕事は辞めたくない」だった。
「親である自分」より「働く自分」を、私は選んだのだ。
“ひどい母親…”
顔のない、誰かの声が頭に響く。
指をさして、コソコソ私を責めたてる。
答えが出ないまま、時間はすぎて、季節がめぐる。
子供の成長とは大したもので、私が内側の葛藤をしているあいだに、夏になる頃には、娘はすっかり保育園に適応した。
たまに朝嫌がる日はあっても、楽しげにすごす日が多くなり、お昼寝もたっぷりできる。
先生になつく娘の姿は可愛かったし、慣れてよかった、ありがたいと感じる一方で、「あんなに嫌がっていたのに、登園をやめなかった自分」は依然として心に影を落としていた。
保育園に大きな感謝があるのに、「100%通ってよかった!!」とは言い切れない。グズグズした醜い生き物が、私の中に勝手に住みつき、我がもの顔で暮らしていたのだ。
そして2度目の春がきて、娘は1つクラスが上がる。
担任が変わったので、はじめこそモジモジしていたが、去年の拒絶ギャン泣きとは違い、「これならすぐに大丈夫そう」と見通しがたつ。
そんな5月の朝、園の玄関で娘と座って靴を脱いでいたら、猛烈に泣いている赤ちゃんがやってきた。今年の新入児だ。
心配と困惑と罪悪感のミックスシャワーを浴びたような母親の表情には、ひどく見おぼえがある。
なにか、声をかけよう。
そう思って口を開いたのに、緊張のせいか、ゴホッゴホッとせき込んでしまった。
まだ何も話してないのに、恥ずかしいな…。
そう思ったとき、私の背中に、温かい何かが添えられる。
「ママ、らいじょーぶ?らいじょぶよぉー」
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