失業率25%!
ノーベル経済学賞受賞者であるポール・クルーグマンはサブプライム危機から現在に至るまで世界を覆う不況を指して「第2次世界恐慌」という表現をしたが、第1次の「世界恐慌」は1929年にニューヨーク証券取引所での株価の大暴落から始まった。
1929年10月のウォール街
この「世界恐慌」への歴史的な解釈は、未だに経済学者たちの間で議論が別れるらしいので深入りした言及は避けよう。経済学者たちの議論が割れていて今の「第2次世界恐慌」に対する政策がグダグダだ、というのはクルーグマンが日々ニューヨーク・タイムズのコラムや自身のブログで愚痴るところであり、そんな彼の発言に対して日々批判や反論をする大物経済学者たちもいる。そのレベルの話題に一介の統計家が言及してもろくなことにはならないはずだ。
しかしながら、少なくともアメリカだけでなく、共産主義国であったソビエトを除くほとんどの先進国がこの株価大暴落のとばっちりを受け、GDPが激減し、失業者はあふれ、結果として第2次世界大戦にすら繋がったヤバい事態だった、という理解は、少なくとも世界史のテストで減点されない程度には正しいものだろう。
この時代に小津安二郎は『大学は出たけれど』という映画を制作し、大学卒業者のほとんどが就職できない状況で職探しに奔走する若者を描いたらしいが、こうした状況はアメリカにおいても同じようなものだった。
大学進学率が5割を超える現代と異なり、この時代の大学卒業者はごく限られたエリートと言ってもおかしくない存在であったが、経済がまともに回らず仕事がないのであればいくらエリートだろうが就職はできない。失業率は最大25%近くまで上昇していたそうだから、今の日本における就職氷河期なんてそよ風のように感じられるレベルの地獄絵図だったのではないだろうか(2012年7月時の日本の失業率は4.3%である)。
世界恐慌時のアメリカのヤバい失業率
「誤差1200万人」の雑な推計
だが、当時の政府にとっては、ある意味でこの状況はラッキーだったとも言えた。なぜならこの大卒者の高失業率は、裏を返せば、当時最新の統計学を学んでいた若く優秀な数学者や経済学者を政府の職員として選出し放題な状況だったとも言えたからである。
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