ここ数年、自分の夫や妻、彼や彼女の呼び方について物議を醸し出しているようだ。先日、ネット上で「職場のデキる女性が自分の夫を『主人』と呼んだ時、落胆して尊敬の念もなくなった」みたいな記事を見て、私は苦笑してしまった。記事の主旨としては「デキる女性としては、主従関係を連想させる形容は使わないでほしい」ということだろう。一理はあるが、尊敬の念がなくなるほどの問題だろうか。もしかしたら『主人』と呼ぶプレイを自分に課しているかもしれないし、夫=主人にかしづく自分が好きなだけかもしれない。いずれにしても、呼び名は呼ぶ人の勝手であって、第三者がジャッジするものではない。
私はあえて旦那さんと呼ぶ
と、よその方を棚に上げておいて、今まで私個人としては夫や妻、彼や彼女を「パートナー」と呼ぶ人が好きではなかった。なんとなく、いけすかないな、偉そうだな、と思っていたのだ。これもまた私の想像力のなさというか、頭の固さだなと恥じている。
私自身は夫のことを旦那さんと呼ぶけれど、これは「人として夫を尊重しよう」という戒めがあるからだ。性格が悪い私のこと、放っておくと夫を奴隷のように扱ってしまう懸念がある 。ゆえにあえて旦那さんと呼び、日々、自己鍛錬に励んでいるのだ。
しかし近年、親密な付き合いをしている方を「パートナー」としか呼べない人々が増えている(「相方」「連れ合い」「恋人」など、性別を特定しない呼び方も含む)。LGBTの方々だ。なるほど、呼び名ひとつにしても様々な事情があり、歴史があるものだ。
先程私が言った「『主人』と呼ぶプレイ」も「夫=主人にかしづく自分が好き」も、「夫=旦那さんと呼ぶことで自分を戒めている」も、すべて自己をコントロールする術ではないだろうか。そう、呼び名は相手のためではなく自分のためなのである。
普段使いの物言いはとても重要
男女平等を掲げつつ、まだまだ不平等な点があるから、女性側が、主人、旦那様、と呼べば「なぜ自ら女を下げるような言動をするのだ」と憤慨する方々がいるかもしれないし 、男性側が、嫁、家内、と呼べば「何を上から目線で」と侮蔑する方々もいるかもしれない。一理あるし、言葉はサブリミナル的に脳味噌にこびりつくものだから、普段使いの物言いはとても重要だ。
植物ですら「今日も可愛いよ、緑具合が冴えているね」などと声をかけて育てれば生き生きするし、『ありがとう水』が流行ったようにペットボトルに“ありがとう”と記したり、ミネラルウォーターに「ありがとう」と感謝して飲めば味が変わるのである(らしい)。
なので、パートナーパートナーパートナーと呼び続ければ、本当にパートナーと同等になるだろうし、いい変化も見られるかもしれない。 とはいえ、「パートナーと呼ぶ党」とか、妙な政党やルールができるのも困る。だって私はやっぱり、旦那さんと呼びたいから。主人と呼ぶ人は、その方が都合がいいからそうしている。職場での立ち位置もあるだろうし、三歩下がって師の影を踏まず、みたいな自分に酔っている場合だってある。皆それぞれ、事情というか好みがあるのだ。
私の旦那さんはどうかというと、外やSNSでは私のことを嫁さんとか妻と言っている。 私はこれに満足しているし、嫁とか妻と言ってもらうと、結婚している自分としての役割を改めて意識できて好都合だ。これがたとえばお子様がいる女性だと、事情はまた異なるだろう。誰々ちゃんのお母さん、この呼び名に満足できる方とできない方がいる。私には名前があるのよ!みたいな主張だ。これはきっと承認欲求の裏返しだ。
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