登場人物紹介
僕:数学が好きな高校生。
ユーリ:僕のいとこの中学生。 僕のことを《お兄ちゃん》と呼ぶ。 論理的な話は好きだが飽きっぽい。
ノナ:ユーリの同級生。 ベレー帽をかぶってて、丸い眼鏡を掛けていて、ひとふさだけの銀髪メッシュ。 数学は苦手だけど、興味を持ってる中学生。
食卓にて
母の《おやつコール》で呼ばれた僕たちは食卓に着く。
僕と、いとこのユーリと、その同級生のノナ。
そこには、いちごショートが二つ並んでいた。
ユーリ「おいしそうです!」
母「おいしいわよ。どうぞ召し上がれ。いま紅茶入れてるから」
ノナ「いただきます$\NONAHEART$」
僕「母さん、僕のは?」
母「あなたも食べるの? 甘いケーキ嫌いって言ってたわよね?」
僕「いや、そういうことじゃなくて。《おやつコール》で僕の分だけないっていうのはちょっと」
母「おせんべいあるわよ」
僕「この待遇の差は何だろう」
母「こちらのかわいらしいお客様は、ノナちゃんでしたっけ?」
ノナは、こくんとうなずく。
僕「そういえば、ノナちゃん。帽子取らなくていいの?」
ノナは、首を振る。
彼女はずっとベレー帽をかぶっているのだ。
母「ベレー帽は部屋の中でかぶっていてもおかしくないし、ぜんぜん失礼じゃないのよ。ノナちゃんのその帽子、よく似合っているわね」
ノナ「ありがとう……ありがとうございます$\NONAHEART$」
ノナは両手を頬にあて、小声で答えた。
母「ねえ、女性の服装をあれこれ言うものではないわね」
ユーリ「そーだぞー!」
僕「いや、僕は、ただ暑くないのかなって思っただけだよ」
ノナ「大丈夫……大丈夫です$\NONA$」
母「ゆっくりしていってね」
母はそう言ってキッチンに立つ。
ノナはそのようすをずっと目で追っていく。
ユーリ「お兄ちゃんって、よく《二つの世界》の話するよね」
僕「ん?」
ユーリ「ほら、さっきも《図形の世界》と《数式の世界》の話だったし。点がこの直線にあることを式で表す……みたいな(第242回参照)」
僕「ああ、そうだね。そこは数学のおもしろいところの一つだからね。別の世界に話を移して問題を解くこともよくあるし、 外国語に翻訳するみたいなおもしろさもあるかな」
ノナ「おいしい$\NONAHEART$」
ノナは目を細め、ほんとにおいしそうにケーキを食べている。
僕「そういえば、ノナちゃん。さっき『アイディアを理解することの意味』って言ってたけど、あれって、どういうこと?」
ノナ「……$\NONAQ$」
僕「ほら、僕が《点を座標で表す》というアイディアのことを言ったよね。一つの点を座標という数の組$(x,y)$で表すことで、点や図形を数を使って表現できる……それはすごいことなんだ。 それはわかる?」
ノナ「何となくわかる……わかります$\NONA$」
僕「それはよかった。座標平面の話をするとき、ややこしい計算や数式の話にばかり気を取られちゃうけど、 大きな考え方をつかんでおかないとね。 つまりそれは、点を数の組で表すとか、図形を数式で表すとか、 数式を操作することで図形を操作するとか……そういうことなんだけど」
ユーリ「やっぱり《二つの世界》の話だ!」
僕「ノナちゃんは、『アイディアを理解することの意味』について、何か気になることがあったの?」
ノナ「わからない……わかりません$\NONAX$」
僕「うん、まあ、いいよ。でもせっかくおしゃべりしてるんだから、わからないことがあったら、何でも聞いていいからね」
ノナ「はい$\NONA$」
点と直線
ユーリ「《点は位置を表している》っておもしろかった!」
僕「そうだね」
ユーリ「ノナが言ってた『大きさがなかったら点は見えない』ってゆーのもおもしろいにゃあ」
僕「そうそう」
ユーリ「あっ! きらりーん☆はっけん!」
僕「何を発見した?」
ユーリ「大きさがないから《点は見えない》じゃん? だったら《直線も見えない》んじゃね?」
ノナ「直線$\NONA$」
僕「ああ、太さがないから?」
ユーリ「そーそー。点には大きさがないし、直線には太さがないでしょ?」
僕「そうだね。あくまで数学で考える直線のことだけど、直線には太さはないね」
ユーリ「だから、点が見えないように、直線も見えない!」
僕「数学で直線というときには、太さは考えないといってもいいよ。もともと、見える見えないは重要じゃなくて……」
ノナ「見えると思う$\NONA$」
僕「え?」
ユーリ「実際に紙に描いたら見えるけど、数学では太さがないから直線も見えないよー」
ノナ「端っこはあるよ$\NONA$」
ユーリ「端っこ?」
ノナ「こういうの$\NONA$」
ノナはテーブルの縁を指でなぞる。
ユーリ「どゆこと?」
僕「何だろう」
ノナはテーブルの縁を指でずうっと撫でていった。
ノナ「でしょ$\NONAQ$」
僕「ノナちゃんが言ってるのは、境界線のことかなあ」
ユーリ「きょうかいせん?」
僕「境界線というか、境目というか。テーブルの端というか縁というか。ノートの縁でも、折り紙の縁でもいいけど《何かと何かの境界線》は太さがない。 でも、境界線は確かに存在するし、目に見える……そういうことをノナちゃんは言いたいんじゃない?」
ノナ「そう……そうです$\NONA$」
ユーリ「うー、確かに境目はわかるけど、それって直線を見てるのかにゃあ……ダウトっぽーい!」
僕「《直線が見える》とはどういうことか……を考え出すと数学からだいぶ離れてしまいそうだな」
ノナ「まちがった……まちがいですか$\NONAQ$」
僕「いや、正しいかどうかという話じゃないよ。ノナちゃんが指摘してくれたアイディア……考えは、すごくおもしろい。 ただ、数学で直線という言葉を使うときの意味とは少し違うかも、ということ」
少し違うかも、と言ってから僕は不思議な感覚に襲われつつ、 ダイニングルームを見渡した。
テーブルが見える。
ケーキが乗った皿が見える。
テーブルから顔を上げれば窓が見える。
いつもの家、いつもの空間だけど、急にその姿を変えたように感じた。 ノナの言葉で境界線を意識し始めたからだろうか。
部屋にあるすべてのものが、ものとして《見える》のは、境界線があるからだ。
ここまでがテーブルで、ここから先はテーブルではないという境界線。
ここまでが皿で、ここから先がケーキという境界線。
ここまでが窓枠で、ここからが窓ガラスという境界線。
もしも境界線がまったくなくて、 のっぺりとした単色が広がっているだけなら、 何も《存在する》ようには見えないだろう。
ノナの「端っこはあるよ」の一言で、知覚レベルが変動する。 視界に入るすべてのものの境界線を意識し始める。 ひとつひとつの物体が境目を明確に主張していることがわかる。
そうか……
母「運ぶの手伝ってちょうだい!」
母が用意した三人分の紅茶を運びながら、僕はさらに考える。
数学でも、境界を確かに意識するな。
僕「数学でも境界線を意識することがあるよ。境界線としての直線」
この連載について
数学ガールの秘密ノート
数学青春物語「数学ガール」の中高生たちが数学トークをする楽しい読み物です。中学生や高校生の数学を題材に、 数学のおもしろさと学ぶよろこびを味わいましょう。本シリーズはすでに14巻以上も書籍化されている大人気連載です。 (毎週金曜日更新)