鉄平 23歳
(アカウント:圭太
「ストナン/ネトナン/ティンダ―/ナンパ/主戦場は獅子と犬/ナンパ師の方、絡んでください!」)
新宿を流れていく人波を、何の意図もなく目で追っていた。みんな、水槽の中をただぐるぐると泳いでいる魚みたいだ。無気力で、無感情で。東京は海だな。そこにいる人を酸欠にさせる、汚くて淀んだ海。
鉄平君、レジお願い、と言われてやっと店に数人の客が入っていたことに気づく。
やばいな。寝不足だから、集中力がない。
「このレジ打ちと、欠品していた商品の注文が終わったら、もうそろそろ上がっていいよ」と店長に言われて、まぶたの辺りをふわふわと取り巻いていた眠気がひっこみ、急に力が湧いてきた。
今日もまた、遊び場に繰り出そう。
「おつかれ、したー」と挨拶もそこそこに裏にひっこみ、ロッカーから財布と携帯と香水だけが入った通勤用のポーチを取り出し、ひょいと肩にかけた。ナンパ師の鉄則は、身軽。向かう先は渋谷。
人込みにまぎれて数駅を過ごし、渋谷駅に降り立つと、そこはもう俺専用のプレイグラウンドだ。夜の空気を体中で感じながら、俺はスマホを取り出した。
「犬、イン」
そう叩いて送信ボタンを押す。
渋谷はいつの間にこんなにアジアになったんだろう、と思ってから日本もそういえばアジアの一部だったか、と自分で自分につっこみをいれた。
俺の言いたいことはつまり、東京の雰囲気が前に行ったことのある台湾とか韓国に似てきたってこと。まるで東京が東京じゃないみたい。というか、東京も台湾も韓国も、あまり変わらない気がする。
目に飛び込んでくる景色は暑苦しくて、チカチカして、街全体が膨張し続けているかのような熱気を感じる。すれ違う人の喋る言語も中国語か韓国語が多い。それが嫌というわけでは全くないのだけど、俺の知っている渋谷って、こんなんだったけ、という感じもする。
じゃあ俺の思う渋谷はいつの記憶なのかというとそれもよくわからない。
高校は横浜だったから、学校帰りに渋谷に寄ることだって滅多になかった。俺が渋谷に通うようになったのはここ数か月。ナンパ師として活動を始めてからだから「俺の記憶の中の渋谷」は俺が勝手に作り出した偶像でしかない。
ツイッターで裏アカを作ったのは一か月前だ。
彼女が欲しくていくつかの出会い系アプリに登録したら、あまりにも簡単に女の子たちと優勝しまくれるものだから、面白くなって戦績をツイッターに記録したくなった。セックスを「優勝」と表現するのを流行らせた暇な女子大生さんみたいにネット有名人になることを目指しているわけではない。あくまで自分の記録のためだ。
裏アカでツイッターを適当にいじっていた俺はある世界の存在に気付く。
ナンパ師と呼ばれる人たちの世界だ。
彼らは、ネットやクラブ、時にはストリートでナンパをして、お互いの戦績を裏アカで報告し合う。ナンパ用語と呼ばれるものもあって、例えばネットでのナンパはネトナン、クラブでのナンパはクラナン、ストリートでのナンパはストナンと略される。
ナンパの聖地である渋谷は犬、新宿は獅々だ。犬は言わずもがなだけれど、忠犬ハチ公がシンボルであることが由来。獅子は新宿東口にライオン像があるかららしい。
こういうことはナンパ師たちと会話を続けるうちに自然に学び、時にはググりながら覚えていった。
俺が女の子と遊ぶ時はほとんどがネトナンだけれど、正直、ストナンが出来る人たちが一番強いと思っている。出会ったばかりの警戒心丸出しの女の子の心をほぐせるなら、ベッドに誘うのだって簡単だろう。それだけの話術と度胸があるということに他ならない。
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