影薄くぶどう色になる憧れは遠くなるほどきつく匂い出す
今日もガムを盗んだ。
ガムがなくても人は死んだり困ったりしない。
そう判断して、わたしはガムを盗むのだろう。
何の変化もない日々の、ちょっとしたアクセントのようなものだった。
見つからずに盗めて店の外に出られればラッキー、くらいな。
それは夏至の日だった。
いつものようにガムをバッグにすとんと入れて店を出ると、左手を後ろから掴まれた。
振り返ると、このコンビニの店長がわたしを無表情で見つめている。
田舎のコンビニがよくそうであるように、ここも二階が店長の自宅だった。
「五年前からだよね」
ああ、わたしは五年前から寂しかったのだ。
急に婚約破棄されて。
「いくらだと思う?
あんたが盗んだガムの合計」
「ちょっと……」
計算したくもなかった。
「22万だよ。ガム1個120円として。その調子じゃ毎日だろ? 俺もパチンコ依存性だから分かるよ」
一緒にされたくなかった。でも警察に通報されないよう、反省しているふりをして俯く。
「代わりにカゲモリしてくんない?」
「カゲモリ?」
「俺の影を見守るのよ」
「見守る? どうやって」
「ただ、俺の影を見ててくれればいい。出来れば消えないように念じながら見ててくれればいい。大事な家族みたいなノリで。最近薄くなり始めてて。でも母ちゃん施設に入れたばっかだから、まだ死ねない。
あと二年かな。二年働いたら、母ちゃんが死ぬまで施設が看てくれる金払える」
影が薄くなったら影に国産醤油をかけるとリカバーすると影仲間に聞いたと店長が言うから、わたしは常にポケットにミニ醤油を入れて、店長の影を見守った。
ちょうど二年後に、影は突然消え、間もなく店長は亡くなった。
遠い親族の一人が店長のミニ金庫を開けると、わたしの名前が書かれた紙の箱があり、中身はぎっしりぶどうガムだった。
秋だった。
わたしはぶどうガムを、味が無くなるまで噛みつづけた。
「人工のぶどうの匂い製造所」原料は夢破れし人の影
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