女優

「落ち込んだとき、繰り返し読んでいます」「読んでいて心が暖かくなる1冊です」など、2012年に出版して以来、今も読者から感想が届く酒井若菜さんのエッセイ集『心がおぼつかない夜に』。あれから6年――。『うたかたのエッセイ集』(キノブックス刊)が10月に発売されました。cakesでは、本書に収録された33本から選りすぐりの6本を連載いたします。


女優。私はこの肩書きを気に入っている。

特にピチピチには、「女優じゃないです、役者です」とこだわりを持つ子も多い。それはそれで、とても美しい意志だと思う。例にもれず、私自身もまた、ピチピチな頃にはそう名乗っていた一人である。

しかし現在の私は「女優」という肩書きが一番好きだ。
女優、俳優、役者、の順に好き。
役者よりも俳優のほうが好きなのは、「俳」の字には、おどけ、滑稽、という意味があるからだ。コメディ女優を目指してきた自分には、この「俳」の字は見過ごせないのである。

また、「演技」ではなく「芝居」という言葉にこだわりを持つ子も多い。
「俳優の演技」よりも「役者の芝居」のほうが雰囲気はずいぶんと増す。重厚で立派な感じもする。
しかし、実際に「役者の芝居」までたどり着いた人は、日本ではわずかしかいないと私は思っている。

ま、私も役者だ芝居だとうっかり言うことはあるのだが。というかものすごく多いのだが。

もちろんそんなときは、一切の動揺も見せず、眉ひとつ動かさずに会話を続けているはずなので、もし街の喫茶店で、役者たるや、芝居たるや、を語っている私を目撃したら「あいつやってんな」と思っていただきたい。

そして、男性の俳優と話すときは、同業者だという意味を込め、私も自分自身のことをひっくるめて、「俳優」という言葉を総称として使うようにしている。
「役者」に比べて「俳優」はやや軽薄な感じがするし、重みがない感じもなかなかいい。

でもやはり、私個人の肩書きを選べるのであれば、圧倒的に「女優」がよい。
女という性別にこだわりを持っている私には、「女優」という肩書きは、女にしか持てない特権のように思える。女にしかできない表現をしていきたい私には、理想的な語感だ。
無論、「女だけ〝女優〟とつけるなんて差別だ。女を売りにしたくない」という気持ちも分かる。ただ、私が女という性別に人一倍誇りを持っていて、また憧れが強いだけだ。

ある男性の先輩(このかたこそ、数少ない役者の肩書きを手に入れたかたであり、かつ俳優の精神も持っている。その上、芝居も演技も両方できるかた)から、こんな話を聞いた。
「女優には野生的でいてほしいんだよ。どんな球を投げてきても、男は受け止めて返す。普通にキャッチボールできる女優より、野生的に暴投してくる女優のほうが、こっちはやってて面白いんだよ。そもそも男の俳優は、女優を輝かせるのが仕事なんだから」
聞いていて、うっとりした。

女は元来、キャッチボールが下手な生き物である。
会話でも野球でも。スマートなキャッチボールなら、男は男同士でやったほうが楽しいに決まっているのだ。キャッチボールの才能が備わっていない女とやるなら、男には考えもつかないようなフォームで暴投したほうが面白いのではないかと思う。

女優という言葉が独立したことがそもそもおかしいのだが、それは男尊女卑な性質が芸能界にもあったということかもしれない。
それならばいっそ、女の女たる姿で、暴投した球を男たちに拾ってほしいと願ってしまう。
代わりに女は、男の腕の見せどころには決して邪魔をしないから。

台詞の掛け合いをする上で大切なのは、「自分がどう台詞を言いたいか」と同じくらい、もしくはそれ以上に、「どれだけ相手の台詞を聞くことができるか」ということだろう。
それは、男女を問わず、役を演じる上での基礎中の基礎だ。
相手役が「あ。台詞を聞いてくれている」と感じたときの幸福感ったらない。
逆に、相手の台詞を聞かない女優、俳優が大嫌いである。
こちらが角度やリズム、言い回しを変えてアプローチしても、まったく同じ間合いやテンション、言い回しでしか返ってこないことがたまにあるが、私はそのたび、脳内がカッピカピに乾く感覚に襲われる。
また、「役づくり」という言葉を忌避する子も多い。不遜だ! と言いたいところだが、では自分が役づくりをしているかと聞かれれば、していない。役づくり、という語感が悪いのかもしれない。何キロ痩せただ、剃髪しただ、歯を抜いただ、たかだかそれくらいで世間は騒ぐ。

新年明けて、1月4日 。39度近い熱が出た。
1月7日 。某作、衣装合わせ。
監督が、私が演じる役の人物像をわざわざ一枚の紙に書いて渡してくれた(素晴らしい監督!)。
台本とは常に、役の「人生の途中」から描かれているものだが、役だって「人生の途中」から突然生まれたわけではない。監督が書いてくださったソレは、物語が始まる前にその役に何があったか、何故その役は人生の中でも、その部分が「作品」として切り取られたのかが分かる美しいものだった。
吸っている煙草の銘柄だとか、細かな人物設定を丁寧に言葉で紡いでくださった監督に付いていこう、と心底思った。

ふと、書かれていることよりも、消してあることのほうが気になった。
「書いてみたけど、やっぱり違う」と思ったことのほうが、意志が働いているものだ。

誰だって経験はあるだろう。
たとえば、別れた恋人に「やっぱり好き」とメールを書いて、送る寸前で削除したこと。
たとえば、田舎で暮らす母親に「仕事、しんどい」と電話口で言いかけて飲み込んだこと。

消したことのほうにむしろ、「ほんとう」が詰まっていたりする。

監督が渡してくれた紙の中で消してあった言葉は、「可能なら、喉を嗄か らしてもらう?」だった。
最後に書かれていたその一文が、ボールペンで消されていた。恐らく、それは無茶な要求だと思われたのだろう。
「あの~、声は?」
と聞くと、監督は
「いや、今の感じがベストです」
とおっしゃった。
「あ、今は、風邪ひいてて。すみません」
「あ、そうですか」
なんて会話をして衣装合わせは終わった。
撮影まで2週間。いや、治せないよね、風邪。
監督が、この声がベストだとおっしゃるのなら、応えるよね。付いていく、って決めた女の意志は揺らがないもん。
本番までに風邪を治すことはあっても、本番まで風邪を治さない、というのは初めての経験だった。こじらせすぎて、撮影日は肺炎になり死ぬかと思ったけれど、とても楽しかった。
しかし、これをブログやらに書いたらまた「女優魂!」だのなんだの、ネットニュースにとってはわっしょいわっしょいなネタになるだろう。揶揄されるのも哀しいし、褒められるのも気持ちがわるい。
「役づくり」というヘンテコな名称は、廃止してほしいものだとつくづく思う。
0の状態で現場に行くという俳優が多いけれど、予習しないと不可能だから、この仕事。 撮影前に、最低限のことは取り入れ、考え、理解し、その上で、感じたものや得たものを隠し持って現場にいくのが作品への礼儀。0やらフラットやらにして臨まないと、それこそ相手役の台詞を聞けなくなるから、化学反応も起こらなくなるわけだ。
けれど、台本を受け取ってから一度もなんにも感じず撮影に臨むなんてことは当然ありえないし、気味が悪い。
役づくりをしない、とわざわざ口にすることもないとは思うのだが、一方で、敢えて言葉にするのは、俳優の「照れ」と「プライド」と「謙虚さ」、そして少々の「不遜」の表れなのかもしれない。

また、昨今の俳優界では、私生活に役を持ち込まないことが一つの美徳とされているように感じられる。
ある同世代の俳優(♂)は、ヤンキーもの、任侠ものが多いので、「私生活に役を持ち込んだら、毎日が警察沙汰や!」と相成る。至極真っ当な意見だ。
それは確かに、その俳優のような場合は絶対に私生活に役を持ち込むわけにはいかないだろうと思う。

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酒井若菜
キノブックス
2018-09-29

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kinobooks 無料公開期間がもうすぐ終了になります。 まだ読んでいない方はぜひぜひ。 12ヶ月前 replyretweetfavorite

consaba 酒井若菜「撮影中以外、あっさりと割り切ってしまえる鈍感な感性しか持っていないのなら、人間を演じる仕事なんてやめちまえ、と思う。」 12ヶ月前 replyretweetfavorite