女友だちとの美醜ヒエラルキー、直視するにはあまりに残酷な現実

独身、既婚、子持ち、子なし、お金持ち、貧乏、美人、不美人…。ちょっとの「違い」ゆえに、時々ぶつかる私たち。それでも、男には絶対に見出せないものが、女の友情にはあるーー。

「女友だち」の新しいカタチを描く北原みのりさんのエッセイ『メロスのようには走らない。〜女の友情論〜』を特別公開します。

 どんなにきれい事を言っても、見た目は重要である。それは人生を左右するほどの重要案件である。だって、外見の美しさは、ずばり絶対権力だから。そして容姿は、あらゆる不平等の本質ですらあるから。

 ......と、そんな風に考える私の心の醜さを反省したいところだけれど、でも容姿とは、古今東西老若男女限らず、人の心の根深いところを傷つけ続けている問題なんじゃないだろうか。

 女だけじゃない、男だって同様。自分の容姿に感謝し、うっとりできる一部の容姿エリート以外は、大抵は自分の容姿に傷ついている。傷ついているけれど、自分のことだから嫌いになるわけにもいかない、見捨てるわけにもいかない、だから折り合いをつけるための道を探っていく......。

陰で「熊」と呼ばれていた女友だち

 学生時代の友人ナナコは、勇ましい容姿をしていた。丸顔という以外、鼻も口も特に特徴はないのだけれど、濃い眉毛にギョロっと大きい目が印象的だった。そんな彼女のことを、女友だちは陰で「熊」と呼んでいた。

 ナナコはあまり好かれていなかった。なぜかといえば、「自分はいい女」という雰囲気を全身から放っていたからだと思う。膝上10cm以上のタイトスカートにピンヒール、真っ赤な口紅をつけて、ちょっと"アンニュイ"な雰囲気で、シルクのスカーフをふんわりと肩に羽織る感じ、バブルの頃なのでそれがデフォルトだったとはいえ、確かにナナコは、ちょっといい女を気取りすぎていた。

 「客観性のない女」は、嫌われるものである。正確に言えば、「自分の容姿に対して客観的評価を下していない女」は、女に嫌われるものである。なぜなら、大抵の女は常に自分を客観視する癖がついているものだから。

目の前の友と話しながら、「この人の顔のバランス、変」「目が離れ過ぎてる」など、一度も考えたことがないという人はいるだろうか。そういう冷酷な容姿評価を他人にしてしまう女は、過剰なまでに厳しい容姿評価を自分にも下しがちである。だから苦しい。他人への厳しい評価は全て自分に跳ね返り、女の自己評価は厳しく、自尊心は下がる一方だ。

 だからこそ自分への評価が甘く、自尊心が高く見える女を女は脅威に感じ、虐めたがる。容姿で女は分断され、容姿で女は評価され、容姿で女は選ばれているというのに、お前だけが自由でいるなんて許されない、とばかりに、その女の容姿をネタにして貶めるのである。他の女を容姿で虐めることは、自分をさらに追い詰めていく地獄に他ならないのに、容姿イジメに簡単に手を染めてしまう女は決して少なくない。

ナナコへの疑問と強い罪悪感

 ナナコは私の友だちだった。長い時間を過ごす大切な友だちだった。めちゃくちゃ頭がよく、誇り高く、話題が尽きない友だち。そして確かに彼女は、自分のことを「いい女」と思っていた。

 ある日、彼女が私にこんな話をしてきた。

 「昨日電車でね、近くにいた男の子と目が合ったの。彼と目が合って、離れなかったの。お互いに興味を持ったと思うのよね。でも、結局、私たち、どちらからも話しかけようとしなかったの」

それでそれで?私は聞いた。

 「一瞬で恋に落ちるとか、そういう可能性をもっと信じられるような文化に生きていたら、よかったな、って思った。理性が勝ると日常って、つまんなくなるものね」

 しみじみっていう感じで、彼女は私にそんな話をしてくれた。私はこの話をどういうわけか、明確に覚えているのである。たぶん、二つの相反する感情が私の中で強烈に湧き上がったからだ。

 一つは、「そうだ、ナナコの言う通りだ。もっと衝動的に人と人がぶつかり合うような自由な空気の文化に生きていたらいいのに!日本ってなんてキュークツなの」というナナコへの共感。

 そしてもう一つは、「目が合ったなんて、自意識過剰じゃないかな?ナナコは別に美人ってわけじゃないし、ナナコを凝視する男の人なんて、本当にいるのかな?」という疑問だ。

 もちろん、この疑問はナナコへの強い罪悪感とセットで起きている。だからこそ、私はこの時のナナコの顔や、あの時の雰囲気をよく覚えているのだと思う。

直視するにはあまりに残酷な感情

 女友だちと美醜。女である以上、美醜で評価される容赦なさは、誰もが平等に味わうものだろう。その重さや痛みは個々人で違っているにしても、美醜差別は誰もが体験するところ。

 そういう社会において、女友だちの容姿は、繊細で危険な問題である。決して表立って口にすることはないが、罪悪感や攻撃性を伴う、直視するにはあまりに残酷な感情が、女友だちと容姿の問題にはつきまとっている。

 ナナコに対しては、そんな感情が時々頭をもたげた。とても好きなナナコなのに、容姿についてはどこか、彼女を見下していたと思う。

 それは私を傷つける行為だったし、また私自身が誰かに向けられている視線でもあった。しかも「この友情は本物ではないのではないか」と、ナナコと私の友情も疑うに十分な罪悪感だった。そんな感情に振り回されていること自体が、男からの評価で女が競争させられている状況そのものなのだわ......と分かっているのに、罪悪感も残酷な視線も簡単には失せなかった。

 もちろん、私自身が「ナナコ」になることもあった。ある時、友だち(美人)が合コンに誘ってくれたことがある。彼女はモーターショーのコンパニオン(20年前は超美人特権階級の職業でした)をしていて、合コン参加者は私以外全員コンパニオンで、男たちは全員広告代理店のチャラチャラした男たち、という非コンパニオンの私には地獄の時間であった。

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メロスのようには走らない。〜女の友情論〜

北原みのり

独身、既婚、子持ち、子なし、お金持ち、貧乏、美人、不美人…。ちょっとの「違い」ゆえに、時々ぶつかる私たち。それでも、男には絶対に見出せないものが、女の友情にはある。「女友だち」の新しいカタチを描く、北原みのりさんのエッセイです。

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コメント

stay_foolish82 僕も若かりし頃のヤンチャな自分を抱きしめてあげたい。 約2ヶ月前 replyretweetfavorite

aotokiirode 身におぼえがありすぎ太郎 https://t.co/kYMAmExOI6 約2ヶ月前 replyretweetfavorite

jinjinbabubabu それでも「美しさは圧倒的な正しさ」ってリリアバラノフスカヤの言葉を思い出してしまう 約2ヶ月前 replyretweetfavorite

sabochin この人のコラム、わかるような…わからないような…って気持ちで読んで… https://t.co/c0pmB3zg5y 約2ヶ月前 replyretweetfavorite