「今日、ここに来たのは、森下さんに謝罪のお言葉をいただきたいと考えたからです。氷のようになった赤瀬さんの心を溶かすために、当時の過ちを認めたメッセージをいただけないでしょうか」
森下は驚き、顔に怒気をのぼらせる。口頭で間違いを認めることと、それを記録に残すことは意味がまるで違う。灰江田は畳の上に両手を突き、頭を下げた。
「どうか、お願いできないでしょうか」
「失礼だろう、きみは。まさか、いまの会話を録音していたとは言わないだろうな」
「許可をいただかずに、そういうことはしておりません」
灰江田は両手を突いたまま、顔を上げる。
「森下さん。赤瀬さんがあなたと衝突して会社を辞めたあと、離婚したことはご存じですか」
「それは人伝に聞いている」
「そのとき、一歳の子供がいたことも聞きおよんでいますか」
「ああ、そういう話だった」
「実は、赤瀬さんが出した条件をクリアすれば、ゲームの移植の許可だけでなく、もう一つのことが認められるのです」
灰江田の言葉に、森下は興味を示す。
「なにが認められるというんだ」
「ごくごくプライベートなことです」
森下は好奇心を顔にのぼらせる。
「その話をする前に、今日お連れした女性を紹介しなければなりません。こちらの女性、鈴原静枝さんは、赤瀬裕吾さんの娘です。赤瀬さんが会社を辞め、離婚したときに一歳の赤ん坊だった方です」
森下が、あっと声を上げて目を見開いた。
「赤瀬の娘です。鈴原は母方の姓です」
静枝の声には、家庭崩壊の原因を作った男への恨みがこもっている。
「ご存じのとおり鈴原さんは、森下さんと赤瀬さんの対立が原因となり、父親の姿を見ることなく育ちました。彼女は来年に結婚を控えており、父親との和解を望んでいます。私は話を聞き、赤瀬さんとの交渉の席に鈴原さんを連れて行きました。そして、赤瀬さんに結婚式への出席を求めました。しかし、赤瀬さんは応じませんでした。そして、完全なAホークツインを作成できれば出ようと言いました。
ここまでこじれた状態では、修正したAホークツインを提出しても、赤瀬さんは完全であることを認めない可能性があります。しかし、結婚する鈴原さんのためにも、私は赤瀬さんを確実に説得したい。そのために森下さんの助力を仰ぎたいと思い、今日は来たのです」
灰江田は、まっすぐに森下を見る。横では静枝が体に力を込めているのが分かった。
「森下さんと赤瀬さんの対立は、双方に呪いを残しました。赤瀬さんには、家族が離ればなれになるという呪いを。森下さんには唯一の汚点という呪いを。
あなたは引退され、自由な立場になりました。ここらで、その因縁を解決しておくというのはどうでしょうか。墓まで引きずっていくのは本意ではないと思います。それにここで娘と父の和解を壊したという、さらなる恨みを引き受ける必要もないでしょう。それよりは因縁を絶ち、祝福を与えてはいかがでしょうか」
森下の性格は、事前に鬼瓦に聞いている。その上で策を練り、やって来た。
「もし断れば、私は生涯かけてあなたを恨みます」
静枝が断固とした口調で言う。森下は大きくため息を吐いたあと、声を出した。
「これは私の負けのようだな」
森下は静枝に、深々と頭を下げて謝罪した。
「灰江田さん。この筋書きを書いたのは、あんたかね」
「はい」
「ここまでされて断るのは難しい。協力しよう。ここで追い返せば、後悔という名の呪いが、死の瞬間まで俺の肩に、のしかかることになるだろうからな」
苦い顔をして言ったあと、森下は灰江田に視線を投げかける。
「きみの策は、事態を打開するために必要だろう。ゲームが改変される前の状態と認めるかは、赤瀬くんの心次第。確かにそのとおりだ。そのためには赤瀬くんの心も修復しないといけない。正しい選択だ」
部屋には、窓を通して鳥の声が響いている。森下は立ち上がり、灰江田の前まで来て、ボイスレコーダーを手に取った。
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