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「落ち込んだとき、繰り返し読んでいます」「読んでいて心が暖かくなる1冊です」など、2012年に出版して以来、今も読者から感想が届く酒井若菜さんのエッセイ集『心がおぼつかない夜に』。あれから6年――。『うたかたのエッセイ集』(キノブックス刊)が10月に発売されました。cakesでは、本書に収録された33本から選りすぐりの6本を連載いたします。

人には、感受性のデータ容量、というものがあるのではないかと思う。

私には「リセット癖(ヘキ)」というものがある。
過去に縛られたくない、的なことも言ってみたいものだが、ただ単純に、
「なにこれ、いる? いらん!」
に至るまでが異様に早いのだ。
なんなら「いる?」の部分をちょっと食い気味に「いらん!」と結論しているのだ。セルフ食い。

私の特徴は、やめたことに対して一切の後悔も寂しさもない、ということかもしれない。
リセット癖が発動されないのは、人間に対してだけ、のような気がする。
スマホのバックアップをPCで取るときに、写真だったり音楽だったり、消費しているデータの傾向は人それぞれだが、それと同じように、人が持つ感受性のデータ容量は決まっていて、私は、その消費のジャンルが主に「人間」なのだと思う。
それでも、生きていればそれだけで容量は食うわけだから、その「人間」で容量が埋まった分を、他の諸々でリセットして、あらたにデータ容量を空けているような感覚。

以前、自分の部屋が奇天烈すぎてついていけないという話を書いた。
あり得ない色の壁紙に、ゴンゴン壊れてゆく家電とベッド、という話。

先日、「あと20分ほどで到着します」という謎の電話に起こされた私は、なにごとかとスマホの履歴を確認した。
まさか自分が、ノンレム睡眠中に「家具、当日引き取り」の連絡を業者に入れているとは誰が想像しよう。
私はついその数時間前に、壊れた家電とベッド以外のほぼ全ての家具の引き取りを業者に依頼していた、らしい。

何故、壊れていないものだけを……。
「ガラスの十代」にハマっているからだろうか。

こうなったら一斉処分だ。
大慌てで家具を玄関先に出し、業者が到着するのを待った。
ノンレム睡眠中の私は、明らかにリセット癖を発動していた。こわいわね。

間もなく業者到着。
自分の寝ぼけ眼まなこをこする間もなく、振り返れば、部屋の中はガッッッラ—ン。
ダイニングテーブルを除いては、壊れた家具以外、なにもない。わ、どうしよ。壊れそうなものばかり集めてしまうよ。一気に目が覚めた。

これまでもたびたびこういうことがあった。
先に書いたSNSの整理もそうだが、たとえば、これは酒井通には知られた話。

10年ほど前。
うっかり事務所をやめ、部屋の退居届を出し、ケータイ電話を解約し、「あら。なにもないじゃない」としばしボンヤリしてから、「わ、どうしよ」と慌てふためいたことがある。
友人の言葉を借りれば、私は「ファミコンですぐリセットボタンを押すタイプ」なのである。

清々しいほどに学習能力も計画性もないとつくづく思う。
自虐は避けたいが、ちょっとバカなのかもしれない。
我ながら、だいじょうぶか? と思う。いい加減にしてほしい。
2011年には、貯金を全額寄付という例の奇行を起こしたし。
それにその年は、実はまた別のものもリセットしてしまっていた。

私の趣味は読書である。

当時、部屋の一つをまるっと「本部屋」にしていた。
壁一面には天井ギリギリまでの高さがある本棚。見渡せば、どこもかしこも本、本、本。
私が世界で一番好きな空間だったが、地震があってそれは崩れてしまった。
愛する本たちが部屋の真ん中で山になっている光景を目の当たりにして、絶句した。本が死んだ、とすら思った。泣きながら本棚に本を戻したりもしたが、「本棚を見ればその人がわかる」だったか、そんな言葉をある日ふと思い出した。

その頃の私は、事あるごとに「生まれ変わりたい」と思いながら生きる数年を過ごしていた。
私は、ならば一番大切な本に、自分の歴史が詰まっている本に、別れを告げることがなによりの近道だろうと考えた。
転んでもただでは起き上がらないのである(まず転びすぎ)。
そして、千冊を超えた本と本棚を捨てた。
さすがに、えぐい作業だった。
それでも二百冊程度はなにをどうやっても捨てられなかった。
だから、その二百冊で形成された自分だけを持って未来にいこうと思った。

思い立ったら即行動。

我ながら、ザックリとした人生観である。

そんな私のラッキーなところが、男運である。
人柄の良い相手さまのおかげで(?)、これまで私は一度も、ある日突然リセット癖が発動し、男性を引き取りに出したくなるような衝動に駆られたこともないし、普通預金を全額寄付したことも当然ない。そんな状況に追い込まれかねない男性と恋人になったことももちろんないので、男性引き取りニアミス経験や全額寄付ニアミス経験すらない(当たり前だ)。
ただ、私の齢よわいも三十と七つ。
そりぁ、寂しくて眠れない夜に男性の腕の中で安心した記憶も、なくはない。
しかし、現在の部屋に引っ越してきてからというもの、一度も男性を部屋に入れたことがなかったりする。
何故かって。 それは、齢が三十と七つだからだ。大人ですもの。

現在の部屋に越してくるまで、恵比寿、参宮橋、初台、代官山、と転々としてきた私の自宅は、その全てが仲間たちの「溜まり場」になっていた。
一番多かったときは七、八個の合鍵を作っていて、もはや誰が鍵を持っているのかさえも把握できていなかったし、家に帰ればたいてい誰かが遊びにきていた。若気の至りである。
もちろんそれは、やましいニュアンスを秘めたものでは決してない。
料理が好きな私は、友人がくるたびに食事をふるまっていた。それが私のストレス解消法だった。

やがて我が家は「酒井食堂」と呼ばれるようになっていった。
お腹がすいたら酒井家へ。
そんな風に思ってくれることが可愛かったし、愛おしかった。
しかし、その仲間たちも今やみな、立派な中年である。
そろそろ解散しましょうか。ということで、今の部屋に引っ越したことを機に、合鍵は誰にも渡さず、よっぽどの事情がある女友だち以外は自宅にあげないことに決めた。

今でも忠実にそのルールを守っている。
極端なのは、男友だちはおろか恋人ですら、男性は一切、部屋にあげてこなかったことである。
大人ですもの。と言いたいところだが、それどころか、貞操観念が年齢とともに強くなってゆく気がする。いやむしろ、大人というものは、年齢とともに貞操観念をより極めていく生き物なのかもしれない。

話が逸れた。リセット癖の話だった。
以前書いた通り、私の部屋の壁は、あり得ない色をしている。
この壁紙によって、私は我を失っていた。
壁紙の色を紛らわせるために、色という色を家具に取り入れていたこの数年。
数少ない我が家を訪れたお客さんに、
「精神が破綻した人の配色」
と大振りながらも的を射たレッテルを貼られた我が家は、それはそれは派手な配色によって成されていた。

部屋がうるさい—い!

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うたかたのエッセイ集

酒井若菜
キノブックス
2018-09-29

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酒井若菜

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gene_szk 「うたかたのエッセイ集」を読んでまた「心がおぼつかない夜に」を読む。 読むのなら、どちらかじゃなくどちらも読んでほしくなる。 続きが出たことに感謝! 29日前 replyretweetfavorite