「番組が用意したのは素敵なお家と素敵な車だけ」
「番組が用意したのは素敵なお家と素敵な車だけです。台本は一切ございません」というアナウンスで始まる『テラスハウス』について、私から「本当にそうかな?」に始まる5分程度の熱弁を聞かされた友人の反応は、大抵が「そんなことわかった上で楽しんでいるから」である。なんでオマエがスタジオで見守る芸能人サイドなのか、と苛立ちながら立ち去るのだが、テレビが最優先されるエンタメではなくなり、「あっ、テレビ、家にないんだよね」という吐露が、不可思議なことに、なにかこう、もろもろ卓越している感じすら醸し出す昨今、テレビに対して、熱狂より冷静な声が吐き出されるようになった。
番組が用意したのは素敵なお家と素敵な車だけではないことは織り込み済みなのに、他に何を用意したのかを探求するなんて野暮だとする。他に何を用意していると思うか、と問うても、そういう問題じゃない、という。そういう問題じゃないのだろうか。ちなみにあの番組に登場する若者たちの定義は、「“どこにでもいそう”だけど“手の届かない”男女6人」だそうである。「手が届く・届かない」という基準で人を判別したことがないのでしっくりこないのだが、みなさん、しっくりきているのだろうか。
「あ、現地の人が」という逃げ道
『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)で放送されたラオスの「橋祭り」が、現地に根付いていた祭りではなく、番組の要請によってでっちあげられた、急造の祭りだったと『週刊文春』が報じた。回転する大きな玉を避けながら自転車で細い板の上をわたる企画に参加した現地の子供たちには、協力費が支払われたという。そのことは現地のコーディネーターも認めている。興味深いのは、新聞の取り上げ方(10日・朝日新聞)で、「ネットの反応」を引っ張るのは毎度のことだが、「バラエティーなんてヤラセなのは前提では」「面白ければヤラセでもいい」「織り込み済みで楽しんでいるのでは」と、擁護する声を多めに引っ張っているのである。
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