CRE8BOY 写真左:山川雄紀、写真右:秋元類。2012年に結成された複数人による振付ユニット。数多くのAKB48系、坂道系のグループ、ラストアイドルファミリー、フェアリーズなどの振付を担当。「遊び心を振り付けます」がモットー。
最強の振付ユニットCRE8BOYはどのように結成されたのか?
竹中夏海(以下、竹中) 平成までのアイドルダンスを振り返るにあたっていろんな方と対談させて頂いてるところなんですが、CRE8BOYさんのお話は是非お伺いしたかったんです。本日はよろしくお願いします。
おふたりは振付ユニットとして一緒に活動されてますが、知り合うきっかけは何だったんですか?
山川雄紀(以下、山川) 14年前に、共通の知人がいて同じダンスチームにいました。
竹中 それまではそれぞれでダンスをされてたんですか?
秋元類(以下、秋元) そうですね。高校まではずっとバスケをしてたんですが、大学に入ってからダンスも楽しそうだなと思ってダンスサークルに入って。そしたらバチッとハマったんですよね。
竹中 秋元さんはジャンル的にはどんなものから始めたんですか?
秋元 サークルを立ち上げた人がジャズベースでやってきたのでそこから始めて、徐々にいろんなジャンルをやるようになりました。
竹中 山川さんも……最初バスケですか?
山川 バスケもやっていた時期はあるんですが(笑)。僕はわりと音楽っ子で。中学生ぐらいの時は楽器をひと通り揃えるだけ揃えたんです。で、友だちのいろんなバンドを手伝っていたら、その中にひとりダンスをやってる奴がいて。発表会に誘われて見に行ったら、「なんじゃこりゃ」って目を奪われました。
竹中 それが中学生くらいの時ですか?
山川 そうです、15才で。誘ってくれた子とは別のチームだったんですが、20~30人くらい真っ白な衣装を着た人たちがSweetboxの曲を使ってファ~っと円になったりして。ダンスに免疫のなかった当時の僕は「なんて人は美しく動くんだろう」って感動したんですよね。
竹中 そこではじめて触れて。
山川「こういうのやりたい、作りたい。」って思って、ダンスを始めました。
竹中 あ、もうその時点で「踊りたい」より「作りたい」だったんですね。
山川 そうなんです。「そうなるためにはどうしたらいいんだろう?」と考えてまずはダンススクールを探しました。
竹中 なるほど。こうしてそれぞれがダンスを始めてから、出会ったのが18才の時だったんですね。ということは、秋元さんはダンスを始めてすぐに山川さんと知り合ってるんですね。
秋元 僕がよく行ってたダンススタジオに、彼が代講の先生として来てたんですよ。
竹中 あれ、おふたりの年齢は……?
山川・秋元 同い年です。
竹中 そっか、山川さんの方が始めたのは三年早いんですもんね。先生になるの早いですねぇ。
山川 15才でダンスを始めて、16才くらいには講師の代講を頼まれるようになって。その時もよそのスタジオのクラスを頼まれて行ったら、彼がたまたまいたらしいんですけど。
竹中 秋元さんもその時の記憶はあんまりないんですか?
秋元 俺は覚えてる。
竹中 生徒さんからしたらそうですよね。そこからどうして一緒にやられるようになったんですか?
山川 僕に代講を振ってくれた先生と一緒に踊っていたんですけど、そこに彼を連れてきたんですよね。「こんな人がいまーす、一緒にやらないかー?」って。で、「おっけーい」って言いました(笑)。
CRE8BOY・山川雄紀さん