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「イスラム過激派ですか……」
椎名学長は首をかしげた。
「ご存知のようにメソポタミアは現在のイラクですから、参加者の多くがイスラム教徒であったことは確かです。オーストリアはカソリック教徒の国ですから、珍しいと言えば珍しかったかもしれません」
そんな突拍子もないことを、と言いたげな様子だった。
鈴木は吉井からの電話を受けたその足で慶大の学長を訪ねていた。菜月は当然のように一緒に付いて来た。
突然の訪問にも椎名学長は快く迎えてくれた。警察からの話が気になっていたのだろう。
通された慶大の学長室はことのほか立派だった。
二人は大企業の社長の応接間を思わせるソファーに学長と向かいあって座っていた。
肩越しに見える大きなキャビネットの中には、世界中から集められた美術品が陳列されている。卒業生からの贈り物だと学長は説明した。
椎名学長は極めて穏やかな人物だった。
吉井から送られてきたメイルにあった履歴も、学問一筋の人間であったことを物語っている。慶大文学部に入学後は一度として慶大を出たことがない。文学部長から学長になった経歴からも、人望のある人間性がうかがわれた。
(とても、殺人と関係しているとは思えない)
それが、第一印象だった。
神父はどうしてこの人に会いたがったのだろう。
何も思い付かない。
「神父さんとは面識がなかったのですよね」
「はい。警察の人にも言いましたが、なぜ私を訪ねて来たのか、全く思い当たりません。強いて言えば亡くなった家内の母親はカソリック教徒だったようですが、家内も私もクリスチャンではありませんし……」
噓をついているようには見えない。
「サンフランシスコにいらしたことは?」
「私も家内もサンフランシスコには行ったことがありません」
「奥様のお母様は?」
学長は困ったというような顔をした。
「私の知っている限りでは、日本を出たこともない人だと思います。私は仕事柄ヨーロッパに行くことが多いので家内もよく連れて行きますが、家内が何度誘っても、外国は嫌いだからと義母(はは)が付いて来てくれることはありませんでした。家内とは彼女が慶大の学生だったころに出会いましたが、かなり貧しい生活をしていました。恐らく義母は、私への経済的な負担を増やしたくないと考えていたのでしょう」
椎名学長はそう言うと、どうぞ、どうぞと、出されたままになっていたコーヒーを勧めた。
鈴木は軽い会釈でそれに応えながら話を続けた。
「学長がウィーンに行かれていた時、そちらでも殺人があったことはお聞きですよね」
「はい、警察の人が話してくれました」
「神父が同じ銃で撃たれたことも?」
「はい、怖いですね」
「何かウィーンで神父と関係のありそうなことは?」
「なかったと思います。確かに、私がウィーンにいるときに銃で人が殺され、私を訪ねてきた神父が同じ銃で殺された。何か自分が関係しているのではないかと私も心配になっています。刑事さんが訪ねて来た時からずっと考えているのですが、本当に何も思い付きません」
「ウィーンには奥様も?」
「いえ、今度のシカゴの出張は家内を連れて行きましたが、ウィーンの時は彼女の都合が付かずに一人で行きました」
「奥様は何を?」
「ユネスコの世界寺子屋運動という途上国の子供の教育支援を手伝っています」
「子供がお好きなのですね」
「私たちに子供ができなかったものですから」
僅かな寂しさが籠もる響きだった。
「奥様にも神父さんとの接点はない訳ですよね?」
「はい。心当たりはないようでした」
と言いながら、学長はまだ手を付けられていないコーヒーを気遣った。
「入れ替えさせますか」
と、尋ねた椎名学長に、菜月と鈴木は同時に、
「大丈夫です」
と、答えた。
「国際会議では何か神の印とかに関する話題はなかったのですか?」
「神の印ですか……」
丁寧に答えてはいるものの、明らかに当惑した顔をしている。
「七つの星に関しては如何でしょう?」
「七つの星?」
眉をひそめた。
「はい、黙示録に出てくるキリストの七つ星」
「ああ、あれですか。特にありませんでしたね。ただ、その話の原型になっているだろうメソポタミアの神はいますが」
椎名学長の目が微かに光ったようだった。学者らしい顔付きになっている。