第七章 秘密
コーギーが、Aホークツインの隠された姿を復元した翌日、灰江田は高台への道をたどり、鬼瓦の屋敷に向かった。鬼瓦のコネを使い、一人の人間に会うためである。その人物が協力してくれるとは思えなかったために、ずっとカードを切らずにおいた。しかし、いまならば説得できる自信がある。
コーギーのがんばりに報いるためだ。そして静枝が父親を取り戻すためでもある。灰江田の話を聞いた鬼瓦は、その人物に会う仲介をすることを約束してくれた。
数日後、灰江田は鎌倉を目指した。鬼瓦の話では、その人物はいまその地に住んでいるという。灰江田は静枝にも時間を取ってもらい、同行してもらうことにした。ずるい作戦ではあるが感情に訴えることは重要だ。人間は正しいことでも感情的に納得できなければ拒絶する生き物だ。
静枝と横須賀線の電車に乗り、窓を背にした座席に座る。景色の色が徐々に緑に変わる中、静枝が灰江田に尋ねてきた。
「灰江田さんは、白野さんとは長い付き合いなんですか」
「一年ちょいだな。なんか縁があって、うちで働いてくれることになったんだよ」
それも、いつまで持つか分からないがな。灰江田は心の中で自嘲する。金の切れ目が縁の切れ目になるかもしれない。自分の商売下手に、ほとほと呆れてしまう。
気もそぞろな灰江田をよそに、静枝は興奮した様子で言う。
「白野さん、すごい優秀ですよ。同じプログラマーの目から見ても、相当できる人です」
相棒が褒められて悪い気はしない。灰江田は少し自慢げな態度を取る。
「だろうな。俺が見て来た開発者の中でも、奴は上位一割に属しているよ」
「私より若いのに驚くほどの実力です。いったいどういう人生を歩んできたんでしょうね」
静枝はコーギーのことを詳しく聞きたがる。しかし灰江田は曖昧にしか答えられない。よく知らねえんだよな、あいつの過去。灰江田は適当にはぐらかしながら、コーギーの姿を思い浮かべる。三年半ほどゲーム業界で働いているのは知っている。会社に入れるにあたり、ちゃんとした履歴書は求めなかった。雇用に際して必要な情報だけ分かればいい。学歴とか職歴とか趣味とか特技とかどうでもいい。重要なのは仕事ができるかの一点のみ。そう判断しての採用だった。
そうだよな。あいつの能力は、年齢にしては高すぎる。そしてレトロゲームに興味を持つのも謎だ。コーギーの才能なら、もっと稼げる場所はいくらでもあるだろうに。なんで、うちなんかにいるんだ。灰江田は、いまさらながらに疑問に思った。
電車からバスに乗り換えた。バスは町を離れ、木々のあいだを抜けていく。人気のない停留所で下車した。舗装のない道が、木陰の奥へと続いている。灰江田は、木漏れ日の落ちる道をたどり、静枝と並んで訪問先へと歩いていった。
一軒の屋敷の前にたどり着く。森の中にうずくまるような姿を見せる平屋の日本家屋。庭はほどよい広さで、周囲の景色と調和している。目に映る光の色合いが優しげだった。小鳥の声が、軽やかな音楽のように耳をくすぐっている。
灰江田は門の表札を見て、インターホンのボタンを押す。表札には森(もり)下(した)と書いてある。この屋敷に住む人物の名は、森下毅一(きいち)。白鳳アミューズメントの社長を五年務めたあと、外食チェーン店の社長に転身して再生請負人として名を上げた。その後、いくつかの会社を渡り歩き、コスト削減による業績回復を何度も実現し、三年ほど前に引退した。森下ならば赤瀬のゲームを確実に見ている。コーギーと静枝が修正したAホークツインが正しいかを判定できるはずだ。
中年の女性の声がスピーカーから漏れてきた。家の扉が開き、門のところまで声の主がやって来る。小太りのエプロン姿の女性。おむすびが笑ったような楽しげな表情だ。
「お約束されていた、灰江田さんですね」
「はい」
「そちらの方は」
「鈴原と申します。今日は、付き添いで来ました」
「そうですか。私、この家で家事を任されている住之江(すみのえ)です。お二人とも、遠くからわざわざ、ありがとうございます。どうぞ、お上がりください。森下さん、待っていますよ」
灰江田は礼を言い、建物に向かう。玄関で靴を脱ぎ、屋敷に上がる。住之江の案内で廊下を通り、戸の前まで来た。灰江田は静枝に小さく声をかける。
「森下さんに噛みつかないでください」
「分かっています。大人しくしていれば、いいんですよね」
戸を開けると畳敷きの部屋の奥に、一人の老人が座っていた。齢は七十を過ぎている。老いが苔のように体を覆っている。暗い淀みが、その身にたまっていた。おそらく仕事から離れて急速に老けたのだろう。そう思わせる姿を森下はしていた。
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