若いもんは井の中の蛙じゃ駄目だ」潮がわく海 ー10

「俺はまだ終わっちゃいねえ!」 江戸時代初期、江戸の町に食糧危機が迫っていた。必要なのは物流革命の切り札「千石船」━━。 息子も居場所も仕事の誇りもすべてを失い、老いにどん底まで追い詰められた男が逆襲する! 『男たちの船出』は、イノベーションの生みだす様々なジレンマを、船大工たちの視点で描いた長編時代小説です。 (火・木 10時更新)

 長喜屋の広間では、役人たちが深刻な顔で談議を重ねていた。むろん造船に携わった長喜屋の主立つ大工たちも、末席で身を寄せ合うようにしている。

 自分とはかかわり合いがないと思っていた嘉右衛門だったが、突然、五左衛門に呼び出され、この談議に加わることになった。

「丸尾屋で船大工をしております嘉右衛門と申します」

 嘉右衛門が名乗ると、皆の顔が一斉に向けられた。

「ちこう」と役人の一人が手招きする。

 正座したまましつこうする嘉右衛門の目に、広げられた差図が見えてきた。

「嘉右衛門とやら、此度のこと、そなたは何が主因だと思う」

 嘉右衛門は、首をかしげて何も答えないでいた。

たんのないところを聞かせてくれ」

「はあ」と言いつつも、嘉右衛門は押し黙っていた。

 この座には長喜屋の大工頭もおり、その顔をつぶすわけにはいかないからだ。

 あまりに沈黙が長いため、五左衛門が助け船を出した。

「この嘉右衛門は口下手で、気が張ってうまく舌が回らないのだと思います。わいが昼に聞いたところによると—」

 嘉右衛門に代わり、五左衛門が木綿帆のことを語った。

「木綿帆を使えば裂けないのか」

 役人の一人が七兵衛に問う。

「やってみないと分かりませんが、軽くて丈夫な木綿帆なら見込みはあります」

 七兵衛は木綿帆の有用性を強く説いた。

「最近になって、各地で植えられた綿花も十分に収穫できるようになり、値も落ちてきています」

 さすがに江戸の商人だけあり、七兵衛は木綿の生産や価格動向に詳しい。

「それで帆はいいとしても、舵の件はどうする」

 それについて即効性のある改善案は見出せない。

「で、どうするのだ」

 役人が苛立つように言った時だった。長喜屋の奉公人の一人が権兵衛に何かを耳打ちした。

「何だと。その男は船を造ったことがあるのか」

 権兵衛が首をひねる。

「どうしたってんですか」

 七兵衛の問い掛けに、権兵衛が答える。

「何か披露したいものがあると言って、どこかの船大工が来ているようなんです」

「まあ、いいでしょう。ここに呼んで下さい」

「いや、しかし—」

 権兵衛は不本意のようだが、七兵衛の命により、奉公人が廊下の奥に消えた。

 —どうせ、本島か広島の大工だろう。金の匂いをぎつけてきやがったんだな。

 塩飽諸島では、ほかの島にも作事場がある。だが質量共に牛島を凌ぐものはない。

 高らかな足音がすると、一人の男が廊下の奥から現れた。

 —いったい誰だ。

 そちらを見たが、障子が邪魔になって見えない。

 —おそらく愚にもつかないことを言うだけだろう。

 早速、名乗るように促された男が前に進み出る。その姿を見た嘉右衛門は息をのんだ。

「船大工の弥八郎と申します」

 大きなひながた(模型)を抱えた弥八郎は、役人たちのはるか下座に控えた。

「それは何だ」

 役人の問いに弥八郎が答える。

「これは、亡き叔父と共に描いた差図と木割を元に造った千石船の雛型です」

 弥八郎が、その奇妙な形をした船をうやうやしく掲げた。

 —わいが知らぬ間に、そんなことをしていたのか。そうか。前に「今は見せられねえ」と言ったのは、こいつを作ってから見せたかったんだな。

 丸尾屋の作事場を追い出されてから、弥八郎は本島のどこかに引き籠り、雛型を作ることに心血を注いでいたのだ。

 弥八郎から受け取った雛型を、七兵衛が役人たちの許に持っていく。

 役人たちは首をかしげつつ、小声で何事か話し合っている。

「弥八郎とやら」

 中央に座す同心が声を掛けた。

「こちらに来て、そなたらの考える工夫とやらを申し聞かせろ」

「はっ」と答えて弥八郎が膝行する。

「今、談議の中心となっていた帆のことですが、木綿帆を使わないと自在に取り回せないのは仰せの通りです。しかし木綿帆一枚では強風で破れます」

「では、どうする」

「二枚重ねて太いよりいとで刺子のように縫い合わせるのです」

「なるほど。そうすれば破れにくいというのだな」

「どれほどの強風が吹くかは見当もつきませんが、まずは破れぬ帆が張れます」

 役人たちが何事か耳打ちし合う。

 弥八郎を応援したい気持ちと否定したい気持ちが、嘉右衛門の内部で渦巻く。

 弥八郎が雛型の細部について語っていく。

「しかし随分と腹の大きい船だな」

 同心の言葉に与力たちが沸く。

「はい。船足は落ちますが、積載量を考慮すれば、かような形になります」

「いずれにせよ、外艫は大きいのだな」

「そこには工夫があります」と言うや、弥八郎は雛型を掲げ、外艫の部分を動かした。

「この外艫は固定ではなく、海の深浅によって出ている部分を調節できます」

 同心たちがどうもくするや、七兵衛が膝を叩いて言った。

「なるほど。浅瀬では引っ込め、沖に出てからはすべて出すというわけだな」

「その通りです」と答えつつ、もう一度、弥八郎は外艫を動かしてみせた。

 引き上げ式の舵というのは、戦国時代以前から考案されてきたものだが、船の巨大化に伴い、完全なものではなくなっていた。つまり船底からはみ出してしまうのだ。そこで弥八郎らは、身木を肘のように曲げることで、完全に収納できるようにしたのだ。

「よく分かったが、なぜその工夫を長喜屋に伝えなかった」

 同心がとがめるように言う。

「わたくしは見ての通り、場数を踏んだことの少ない船大工です。そんな者の言うことに、手練れの大工たちは耳を貸しません」

「だからといって、何もしないのはけしからんではないか」

「仰せご尤もながら—」

 同心の言葉を遮るように、七兵衛が口を挟む。

「終わったことは仕方ありません。今後、どうするかです」

「それは、そうだが—」

 噂によると、七兵衛は老中たちの信が厚く、それ以下の役人たちは頭が上がらないという。

「この者の考えで千石船ができるかどうかは、これから吟味いたします。まずは長喜屋に向後も続けさせるかどうか判断せねばなりません」

 そのためには多額の資金が要る。幕府としても、長喜屋に継続的に投資を続けるか、別の地の別の船造りに託すか、決定せねばならない。

 それからも議論は続いたが結論は出ず、判断は七兵衛に託された。

「長喜屋さんは限られた期間でようやりなさった。千石船を海に浮かべたことは称賛に値します」

 その言葉に、権兵衛と伝助は目頭を押さえてうつむいた。

「むろん残金はお支払いいたします」

「ありがとうございます」

 二人が額を畳に擦り付ける。

「しかしながら、このまま続けても成果は出ないと思います」

 二人が啞然として顔を上げる。

「全く新しい考え方でないと、千石船は造れない。それが、この河村屋にも分かりました」

 同心たちに向かってそう告げると、七兵衛は長喜屋の二人の前に行って両手をついた。

「新しい船造りの方法を考え、それに確信を得たら、もう一度、頼みにまいります」

 七兵衛が深く頭を下げる。

 むろん二人に否はない。場には沈痛な雰囲気が漂っていた。考え方によっては、塩飽の船造りが見限られたことになるからだ。

 突然、七兵衛は立ち上がると、周囲を見回して大声で言った。

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伊東 潤
光文社
2018-10-30

コルク

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