長喜屋の広間では、役人たちが深刻な顔で談議を重ねていた。むろん造船に携わった長喜屋の主立つ大工たちも、末席で身を寄せ合うようにしている。
自分とはかかわり合いがないと思っていた嘉右衛門だったが、突然、五左衛門に呼び出され、この談議に加わることになった。
「丸尾屋で船大工をしております嘉右衛門と申します」
嘉右衛門が名乗ると、皆の顔が一斉に向けられた。
「ちこう」と役人の一人が手招きする。
正座したまま膝行する嘉右衛門の目に、広げられた差図が見えてきた。
「嘉右衛門とやら、此度のこと、そなたは何が主因だと思う」
嘉右衛門は、首をかしげて何も答えないでいた。
「忌憚のないところを聞かせてくれ」
「はあ」と言いつつも、嘉右衛門は押し黙っていた。
この座には長喜屋の大工頭もおり、その顔をつぶすわけにはいかないからだ。
あまりに沈黙が長いため、五左衛門が助け船を出した。
「この嘉右衛門は口下手で、気が張ってうまく舌が回らないのだと思います。わいが昼に聞いたところによると——」
嘉右衛門に代わり、五左衛門が木綿帆のことを語った。
「木綿帆を使えば裂けないのか」
役人の一人が七兵衛に問う。
「やってみないと分かりませんが、軽くて丈夫な木綿帆なら見込みはあります」
七兵衛は木綿帆の有用性を強く説いた。
「最近になって、各地で植えられた綿花も十分に収穫できるようになり、値も落ちてきています」
さすがに江戸の商人だけあり、七兵衛は木綿の生産や価格動向に詳しい。
「それで帆はいいとしても、舵の件はどうする」
それについて即効性のある改善案は見出せない。
「で、どうするのだ」
役人が苛立つように言った時だった。長喜屋の奉公人の一人が権兵衛に何かを耳打ちした。
「何だと。その男は船を造ったことがあるのか」
権兵衛が首をひねる。
「どうしたってんですか」
七兵衛の問い掛けに、権兵衛が答える。
「何か披露したいものがあると言って、どこかの船大工が来ているようなんです」
「まあ、いいでしょう。ここに呼んで下さい」
「いや、しかし——」
権兵衛は不本意のようだが、七兵衛の命により、奉公人が廊下の奥に消えた。
——どうせ、本島か広島の大工だろう。金の匂いを嗅ぎつけてきやがったんだな。
塩飽諸島では、ほかの島にも作事場がある。だが質量共に牛島を凌ぐものはない。
高らかな足音がすると、一人の男が廊下の奥から現れた。
——いったい誰だ。
そちらを見たが、障子が邪魔になって見えない。
——おそらく愚にもつかないことを言うだけだろう。
早速、名乗るように促された男が前に進み出る。その姿を見た嘉右衛門は息をのんだ。
「船大工の弥八郎と申します」
大きな雛型(模型)を抱えた弥八郎は、役人たちのはるか下座に控えた。
「それは何だ」
役人の問いに弥八郎が答える。
「これは、亡き叔父と共に描いた差図と木割を元に造った千石船の雛型です」
弥八郎が、その奇妙な形をした船をうやうやしく掲げた。
——わいが知らぬ間に、そんなことをしていたのか。そうか。前に「今は見せられねえ」と言ったのは、こいつを作ってから見せたかったんだな。
丸尾屋の作事場を追い出されてから、弥八郎は本島のどこかに引き籠り、雛型を作ることに心血を注いでいたのだ。
弥八郎から受け取った雛型を、七兵衛が役人たちの許に持っていく。
役人たちは首をかしげつつ、小声で何事か話し合っている。
「弥八郎とやら」
中央に座す同心が声を掛けた。
「こちらに来て、そなたらの考える工夫とやらを申し聞かせろ」
「はっ」と答えて弥八郎が膝行する。
「今、談議の中心となっていた帆のことですが、木綿帆を使わないと自在に取り回せないのは仰せの通りです。しかし木綿帆一枚では強風で破れます」
「では、どうする」
「二枚重ねて太い撚糸で刺子のように縫い合わせるのです」
「なるほど。そうすれば破れにくいというのだな」
「どれほどの強風が吹くかは見当もつきませんが、まずは破れぬ帆が張れます」
役人たちが何事か耳打ちし合う。
弥八郎を応援したい気持ちと否定したい気持ちが、嘉右衛門の内部で渦巻く。
弥八郎が雛型の細部について語っていく。
「しかし随分と腹の大きい船だな」
同心の言葉に与力たちが沸く。
「はい。船足は落ちますが、積載量を考慮すれば、かような形になります」
「いずれにせよ、外艫は大きいのだな」
「そこには工夫があります」と言うや、弥八郎は雛型を掲げ、外艫の部分を動かした。
「この外艫は固定ではなく、海の深浅によって出ている部分を調節できます」
同心たちが瞠目するや、七兵衛が膝を叩いて言った。
「なるほど。浅瀬では引っ込め、沖に出てからはすべて出すというわけだな」
「その通りです」と答えつつ、もう一度、弥八郎は外艫を動かしてみせた。
引き上げ式の舵というのは、戦国時代以前から考案されてきたものだが、船の巨大化に伴い、完全なものではなくなっていた。つまり船底からはみ出してしまうのだ。そこで弥八郎らは、身木を肘のように曲げることで、完全に収納できるようにしたのだ。
「よく分かったが、なぜその工夫を長喜屋に伝えなかった」
同心が咎めるように言う。
「わたくしは見ての通り、場数を踏んだことの少ない船大工です。そんな者の言うことに、手練れの大工たちは耳を貸しません」
「だからといって、何もしないのはけしからんではないか」
「仰せご尤もながら——」
同心の言葉を遮るように、七兵衛が口を挟む。
「終わったことは仕方ありません。今後、どうするかです」
「それは、そうだが——」
噂によると、七兵衛は老中たちの信が厚く、それ以下の役人たちは頭が上がらないという。
「この者の考えで千石船ができるかどうかは、これから吟味いたします。まずは長喜屋に向後も続けさせるかどうか判断せねばなりません」
そのためには多額の資金が要る。幕府としても、長喜屋に継続的に投資を続けるか、別の地の別の船造りに託すか、決定せねばならない。
それからも議論は続いたが結論は出ず、判断は七兵衛に託された。
「長喜屋さんは限られた期間でようやりなさった。千石船を海に浮かべたことは称賛に値します」
その言葉に、権兵衛と伝助は目頭を押さえて俯いた。
「むろん残金はお支払いいたします」
「ありがとうございます」
二人が額を畳に擦り付ける。
「しかしながら、このまま続けても成果は出ないと思います」
二人が啞然として顔を上げる。
「全く新しい考え方でないと、千石船は造れない。それが、この河村屋にも分かりました」
同心たちに向かってそう告げると、七兵衛は長喜屋の二人の前に行って両手をついた。
「新しい船造りの方法を考え、それに確信を得たら、もう一度、頼みにまいります」
七兵衛が深く頭を下げる。
むろん二人に否はない。場には沈痛な雰囲気が漂っていた。考え方によっては、塩飽の船造りが見限られたことになるからだ。
突然、七兵衛は立ち上がると、周囲を見回して大声で言った。
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